私が大学4年間を過ごした学生寮での体験を物語風に紹介
「福岡県人寮物語」
その1.上京、一抹の不安
199X年4月3日正午、僕は福岡発、羽田着のJAS機内にいた。
隣では友人の白竹がヘッドホンをつけたまま眠っている。
これから東京で大学生活が始まるのだ。
白竹とは中学からの付き合いだ。中学3年生のとき白竹が転校してきて僕らは同じクラスになった。高校は別々になったが、その後お互い浪人生となり予備校で再会した。僕は理系で白竹は文系、入学する大学も違う。それでも、こいつとはこれから長い付き合いになるような気がしていた。
僕らは東京都目黒区にある福岡県人寮、通称、英彦寮(えいげんりょう)に入寮することになっていた。
英彦寮は男子寮で定員約100名。出身高校、大学を問わず福岡県に本籍がある者は誰でも入寮することができた。40年近い歴史があり、寮の出身者には結構な大物がいるとかいないとか。
大学合格が決まった頃、新聞に新入寮生募集の記事が出ていたのを母親が見つけた。「安いけんここにしい、白竹くんも東京の大学なら誘ってやらんね」ということでそれぞれ応募し、あっさり受入れが決まった。
この寮の魅力はなんといっても安さにあった。朝晩の賄い付きで月3万円なのだ。普通ではありえない安さだ。
場所も目黒区目黒本町と東京の中でもかなりランクが高いところにあった。ランクが高い、というのは僕の勝手な想像だ。いくら僕が福岡の田舎から出たことがないといっても、東京の家賃が地方とは比べ物にならないくらい高いことは知っている。6畳で2人部屋らしいのだが、条件を考えるとぜいたくは言えず、まあ仕方がないかと思える。
ただ、良いことばかりでもなく、気になることもあった。福岡県庁に入寮申請書類をもらいに行ったときのことだ。新入寮生のかなりの数が毎年、入寮してすぐに退寮してしまう、と県庁の職員から聞いていたのだ。
いくら6畳の2人部屋だからといっても我慢が足りないんじゃないのか?
もしかしてよっぽど飯がまずいのか?
それとも何か別の理由があるのだろうか?
目をつぶってしばらく想像していたが、不安が増すだけなので考えるのをやめた。どうせすぐにわかることだ。
やがて飛行機が羽田に到着した。
タラップを降りてバスに乗る前に空を見上げた。
天気は晴れだと機内アナウンスされていたが、期待していたような青空ではなかった。スモッグの影響なのか、灰色がかった晴れ空だった。
—なんかイマイチな東京上陸だな—
もっと心躍るものになるかと思っていたが、現実はこんなものかもしれない。それとも不安の方が勝っているということだろうか。
「今からおれたちは東京人やー」
横にいる白竹が緊張感のない声で叫んだ。今まで自問自答していた僕がばかみたいに思えた。
ターミナルまでのバスの中で、
「これからは東京弁でしゃべらなくちゃだめだよー」
白竹はさっそく東京人になりきっていた。のん気なやつだ。
東京での生活を機に生まれ変わる気でいるらしい。こいつを見ていると「大学デビュー」という言葉が頭に浮かんでくる。
僕が、
「東京弁げなしゃべるか」
と言い返すと、
「そんなんじゃだめだよー」
白竹はさらに言い返してきた。
しかし、こいつの東京弁は、まだまだ田舎者丸出しのアクセントだった。こんなやつに指摘なんかされたくない。
「こいつ、むかつく」
僕は白竹のボディに軽くパンチした。
「暴力はんたーい」
「スキンシップたい」
いつものやりとりをしているうちに元気が出てきた。僕らは手荷物受取所でバッグを受け取ってモノレールに乗った。
その後、僕らは浜松町の駅ビルで昼飯を食べながら、どうやって寮まで行くか話した。
英彦寮までは山手線で目黒駅まで行き、バスに乗り換えるか、渋谷駅で東横線に乗り換え、学芸大学駅まで行くかの2通りあった。
歩きの少なさでは目黒からバスの方が良さそうだったが、通学には東横線を使うことになりそうなので、予行演習を兼ねて渋谷駅乗り換えの方にすることにした。
渋谷に着くと、
「急行を利用するんだー」
白竹は僕を置き去りにするように、何の迷いもなく東横線の改札機に切符を通し、ズンズン進んでいった。その足取りからは、上京の喜びで僕の存在が頭から消えかかっているように感じられた。
「おい、ちょっと待てやん」
返事はない。僕は仕方なく白竹のあとを追うように歩いた。
学芸大学駅までは急行で2駅目とあっという間だった。空港からここまでは乗り換えが多かったからか、かかった時間の割に短く感じた。田舎の1時間だと乗りっぱなしで長く感じるのとは違った。
学芸大学駅に着き、東口商店街に出た。
一車線程度の道幅の通りには、昼間なのにかなりの人が行き交っていた。主婦層だけでなく学生層やビジネスマン層など幅広い。こっちには買い物かごをぶらさげたおばちゃんはいないようだ。
今度は、さすがに東京なだけあるな、と思った。
—これからこの通りを4年間利用することになるのかー—
喫茶店でコーヒーでも飲みながら優雅に読書する大学生っぽい姿を思い浮かべた。
5分くらい歩くと商店街が終わった。
僕らは目黒通りに通じているであろう車道に沿って歩いた。道路の右手にはNTTの電波塔がランドマーク的にそびえ立っていた。
やがて目黒通りの交差点までやってきた。
交差点の一角には目黒郵便局があった。この郵便局の近くに寮があるはずだ。
郵便局のもっと奥の方に白くてモダンな感じの建物が見えた。
「あれか、結構きれいやんか」
思わず叫んだ。
青信号になると同時に、僕らはその建物に向かって小走りで近寄っていった。
すると、その建物にたどり着く前に、
「ねえー、こっちに福岡県学生寮って書いてあるよー」
白竹が一つ手前の敷地の表札を指差して言った。
僕が見つけたのは寮とはまったく関係のないマンションだった。白竹が見つけた方こそ英彦寮だった。
その2.高まる不安
僕らはその建物を見て絶句した。
壁のあちこちにヒビが入っていて、取り壊し寸前の隔離病棟のような感じだった。塗装が施されていたが老朽化を隠しきれていない。
さえない空がそのまま降りてきて僕の視界を灰色に変えた。
陰気な寮の外観はシンプルな直方体構造の4階建て。鉄筋コンクリート造り。
僕らのいる門側から敷地の奥に向かって伸びるように建っていた。
建物の入口は手前と奥に2か所ある。手前の入口は開けっ放しになっており勝手口のようだ。
どうやら奥の方が玄関口らしい。
建物正面の庭にはバイクが20台以上横並びにとめてある。
しかし、ひと気がまったく感じられない。
すぐそばの騒がしい目黒通りとは対照的に、ここだけ時間がかたまってしまったかのような異様な静けさだった。
(英彦寮40周年記念誌より)
本当に人が住んでいるのだろうか
2階から4階にかけて数十ある窓のうち、いくつかは開いていたが人の声は聞こえてこない。心霊スポットとして紹介されても違和感はないだろう。
「何か怖くなーい?」
「おまえ、先行け」
そう言いつつ僕らは奥の入口まで近づいていった。
おそるおそる扉を開けた。
右手側に小窓ががあり、中はタバコ屋の窓口のような小さな空間がある。奥にふすまがあり、その向こうにはさらに別の部屋があるようだ。
何も書かれていないが、なんとなく管理人室だと思った。
その小窓に向かって呼びかけると、数秒後に近くのドアから老人がモソッとあらわれた。
寮監だった。白髪交じりのモジャモジャ髪はボリューム感から見て60歳を超えている感じだ。小柄でヤセ型、気難しい表情をしていた。
僕らが入寮の挨拶をすると寮監は、
「2年生ー、下に降りてこーい」
放送機を使って館内放送をかけた。呼び方も愛想がない。
やがて2年生らしき寮生が正面の階段からぞろぞろ降りてきた。
僕らたった2人になんと20人近い出迎えだった。
僕らは挨拶した。
「お願いしまーす」
「……」
「よろしくお願いしまーす」
「……」
僕らの挨拶に応えてくれる者は誰もいなかった。
全員が黙ったまま僕ら2人と対峙した。
いったい何のために降りてきたのか。どいつもこいつも見事に無表情だった。
—何て不愛想な連中だ。何なんだこの寮は—
ただ、最初の印象は大事だと思ったので、こちらからは愛想よく振る舞い続けた。
彼らは先に寮に届いていた僕らの荷物と業者貸出しの布団を持ち上げると、黙って部屋まで運んでくれた。
不愛想な割には親切な対応だった。
僕らは歓迎されているのかそうでないのか、まったくわからなかった。
僕らが案内されたのは3階、廊下の端から2つ目の315号室、正式に部屋割りがあるまでは仮部屋ということだった。
彼らの中の一人が、「6時になったら301号室に来るように」と言い残して去っていった。
再び白竹と2人になると少しほっとした。
部屋は縦長の板敷6畳間、南向き。部屋の中央片側にはごつい木製枠の造り付け2段ベッドがある。この2段ベッドが部屋の中央付近をどんと占領しているのでその分フリーな空間が少なく部屋が狭く感じる。奥の窓際両サイドには小さな勉強机が背中合わせになるように取り付けられていた。
どうやら今年の3月に卒業した人の部屋だったようだ。
室内アンテナの14型テレビ、本棚が置いてあった。テレビと本棚の側面には各々紙が貼られ、
『2年の××(寮生らしき名前)がいただきました』
と所有を主張する文字が書いてある。残念ながら僕らが勝手にもらうことはできないようだ。
床には大量のエロ本が膝の高さ近くまで山積みになっていた。少なく見ても100冊は下らない。この部屋の元住人はいったいどれだけエロ本が好きだったのか。
とりあえず2段ベッドの上段を僕、下段を白竹のものと決めた。
それぞれベッドに寝転がって、しばらくエロ本を眺めていた。
「ねえー、6時になんがあるとー?」
下から白竹が不安そうな声で言った。
いつしかインチキ東京弁は消えていた。
「知らんッ」
そう言うしかなかった。
晩飯のために呼ばれた感じはまったくしなかった。
その後、僕らは住民票を移しに目黒区役所に行き、それが済むとコンビニや定食屋がどこにあるのか確認するなどして時間をつぶした。
ただ6時からのことが頭から離れなかった。やり残した宿題を抱えたまま過ごす夏休みのようなすっきりしない気分だった。
その3.不安的中
やがて6時になった。
僕らが301号室に行くと数人がいた。
色黒で筋肉質なやつが真っ先に目に入った。
一人だけベッドに腰をかけ、大股開きでリラックスしている。
見るからに態度がでかい。上級生だろうか?
そいつの前には僕より少し背が高くてオタッキーな感じのやつが立っていた。顔は石田純一風だが、脂っぽい髪質と無造作に伸びた感じの髪型からは都会に洗練された印象がまったくない。こいつは1年生だろう。
それ以外には色白でメガネをかえたチビなやつ、暗い表情をしたジミで根暗な感じのやつ、おとなしそうな美少年タイプのやつがその場に突っ立っていた。僕と白竹を含めて7人だった。
みんな黙っている。
—とりあえず誰かに話しかけてみるかな—
ここは無難に背の高いオタッキーくんあたりがいいのかな、と考えていると、
「おれらみんな1年ぜ」
色黒なやつが僕と白竹に言った。
僕はこいつのことを1年生なのかどうか迷っていたのに、こいつは僕と白竹を1年生だと決めつけて話しかけてきた。図太いやつだ。
さらに、
「おまえら現役?浪人?」
遠慮なくずかずかと聞いてきた。
「おれら2人とも1浪たいッ」
「じゃあ、おれと一緒やな」
なんかこいつのペースになっているような気がしたので、僕からも質問した。
「おれら今日来たっちゃけどおまえは?」
「おれも今日たい」
ここに集められたやつはみんな今日、東京にやってきたらしい。
僕らが来るまであまり会話がなかったのか、色黒なやつは僕に集中的に話しかけてきた。ただ、出身地域や大学の話になると、他の連中も自然と僕らの会話に加わってきた。
次第に話が弾んできた。
—6時の集まりとはこういうことだったのか?1年生同士の交流の場を設けてくれるとは意外と気が利いているのかな—
そう思ったときだ。
ドンッ
勢いよくドアが開いたかと思ったら、10数人がドカドカと押し寄せてきた。
昼間の2年生だ。
「おまえら、なんベッドに腰かけよーとやッ」
「セイザーッ」
突然の出来事で何が何だかわからなかった。
気がついたら僕らは前と後ろから、さらにはベッドの上段からも彼らに囲まれ、正座させられていた。
色黒なやつも黙って従っている。さすがに分が悪いと見たのか。
僕らの正面に置かれたイスにリーダー格のやつがどかっと腰をかけた。そして正座する僕らを見下ろしながら寮の掟について話をはじめた。
今から寮のしきたりを教える
この寮で上下関係は絶対だ
1年生はまず上級生にあいさつ回りをしなければならない
そのために、これから自己紹介の口上をおぼえてもらう
みたいなことを言った。
僕らの周りには腕組みした2年生が仁王立ちしている。完全に晩飯どころの雰囲気ではない。
張りつめた空気の中、オタッキーくんが、
「そんなことできません」
こわごわと言った。
すると、
「あーッ?」
「やらないかんったい」
ベッドの上から怒声が飛んできた。
それ以上オタッキー君は何も言えなくなった。
それから約1時間、僕らはさまざまな寮の掟やら、あいさつ回りの口上やらを頭に叩き込まされた。
僕らのうちオタッキーくん、美少年くん、根暗くんがなっていないということで最後までしごかれていた。
本当にこんなことをやらなくてはならないのか?
ひょっとしてドッキリでも仕掛けられているんじゃないのか?
しかし、しばらくすると
「今度ーッ、新しく入寮しましたーッ、1年のーッ××でーすッ。あいさつまわりに参りましたーッ……」
突然、遠くの方から叫び声が聞こえてきた。
そして堰を切ったように別のところからも、
「自己紹介させていただきまあッす。自分、私立福岡大学付属大濠高等学校出身……」
「自己紹介させていただきまーす。自分、福岡県立修猷館……」
絶叫に近い自己紹介があちこちから聞こえてきた。
しかも聞こえてくる声は今、僕らが頭に叩き込まされていることを忠実に体現したものだった。それらは僕らより先に入寮した連中の声だった。
それを聞いて、これは冗談なんかではないのだと悟った。
リーダー格のやつが、これでわかっただろ、という顔をした。
その4.来訪者
やっと2年生から解放されることになった。
しかし、ほっとする間もなく、今度はたった一人で上級生が待ち構える部屋に行かねばならないのだ。
—これからまともな大学生活を送れるのだろうか—
不安にならざるを得ない。
昼間、学芸大学商店街を通ったとき、喫茶店でくつろぐ大学生っぽい姿をイメージしてみたが、ただの妄想で終わるのかもしれない。
実家のベッドで横になってくつろぎたかった。昨日の今頃は何の不安もなくそうしていたのだ。今ほどこんなに昨日を懐かしく思ったことはない。
廊下に出ると、僕らより先に入寮していた1年生が各部屋の前で列をなしてあいさつの順番待ちをしていた。
そいつらは、
「あそこの部屋の人はかなりヤバいぜ、先にまわっといた方がいい」
とか、
「もう寮から出て行ったやつがおるげな」
とヒソヒソ話をしていた。
聞くと、一日も経たずに逃げ出したやつまでいるそうだ。
自己紹介では出身高校名、大学名を言う決まりだ。
あちこちの部屋の中から聞こえてくる自己紹介からは新入生の情報が自然と耳に入ってきた。福岡県内の高校だけではなくラサール出身のやつも何人かいた。
どいつもそれなりの野望を抱いて上京してきたのだろうが、各部屋からは、挨拶の口上を間違えたとか、声が小さいとか、一人称は必ず「自分」と言え、などという理由で怒鳴られ、何度もやり直しさせられているのが聞こえてきた。
これ以上ないくらい出鼻をくじかれているようだ。
—どの部屋も一筋縄ではいかないようだな—
2年生が、
「言っとくが、上の人たちはおれらみたいに甘くないぜ」
とバトルマンガでよく敵が言いそうなセリフを吐いていたのを思い出した。
部屋は全部で50以上ある。1年生の分を差し引いたとしても、一体どれだけの部屋に挨拶をしに行かなくてはならないのだろうか?気が遠くなりそうだった。
とはいえ従うしかなかった。東京で他に頼るところがない僕や白竹は、ここから逃げ出すことさえできないのだ。
結局この日、僕らが仮部屋に戻ったときには11時を過ぎていた。
この日僕が回れたのは5部屋。あいさつ回りは数日間続きそうだ。
「あんた、よくもこんなところに誘ってくれたもんやねッ」
白竹がうらめしそうに言った。
あいさつ回りのせいで白竹の声はガラガラになっていた。それは僕も同じで、白竹の文句に言い返す気力はなかった。
仮部屋にテレビがあったのを救いのように白竹がテレビの電源を入れた。
室内アンテナのため画質はよくない。
そんな不満をいちいち口にすることもなく、僕らはベッドに腰をかけ、ニュースを無気力にながめていた。
内容はほとんど頭に入ってこなかった。
今日の出来事がどうだとか、明日の天気が晴れか雨かなんていうことは今の僕らにとってどうでもいいことなのだ。
これから眠って朝がきて、目が覚めたらまた憂鬱な気分になるのだろう。
そんなことしか考えられない。
少し時が経ってから、
コンコン
と部屋のドアを叩く音がした。
上級生か?
一瞬ギョッとした。
「はーい」
返事のあとに顔をあらわしたのは301号室で一緒だった、色白のチビくんだった。吉世という名前だった。
「ねえ、部屋入っていい?」
と聞いてきた。
「いいばい」
と僕が返事すると、吉世は、
「この寮、最悪じゃない?」
と言いながら部屋に入ってきた。
吉世は躊躇なく、ベッドに横並びに腰を掛けていた僕と白竹の間に座ってきた。
「おれ、中大やけど2人は大学どこやったっけ?」
吉世はものすごい勢いで、ほぼ一方的にしゃべり始めた。
301号室にいたときは、こんなやつだったとはまったく気づかなかった。
「よーしゃべるにゃあ」
「やっぱそう思うやろ?おれも自分でそう思っとったばってん……」
どうした?と聞いた。
「おれと同じ部屋のやつ、バリ変ぜ」
どこが?とさらに聞くと、
「だってそいつ、ぜんっぜんしゃべろうとせんもんッ」
同じ部屋のやつとは、どうやら美少年くんのことのようだ。301号室では、「声が小さい」としごかれていた。
吉世は彼と半日一緒の部屋にいながら、ほとんど会話が続かなかったと言った。
最初のうちは吉世の方から積極的に話しかけていたが、どんな話をしてもそいつからは薄い反応しか返ってこなかったらしい。ついに気まずくなり、僕らの部屋にやってきたのだ。
「同じ日にきた同学年同士やけん、高校とか大学とか、いくらでも話題はあるやろうもん?」
僕が言うと、
「おれもそう思うっちゃけどねー」
吉世も何で話が盛り上がらないのか不思議だと言った。年齢、性別関係なく、たいていのやつとはトークを繰り広げる自信があるのだが、とも言った。
「それにしても、よーおれらの部屋がわかったにゃあ」
寮には50以上の部屋があるのだ。どこが誰の部屋なのかまったく検討がつかない。そんな中をよく僕らの部屋までやってきたなと関心する。
「部屋の前のスリッパでわかった」
吉世は美少年くんのことを、
「あんな無口なやつ、いままで見たことなーいッ」
と言った。
そして次の瞬間にはちょうどテレビに映ったみのもんたを見て、
「奥さんッ、あなた、すぐに別れなさいッ」
みのもんたのマネをした。
「おもいっきりテレビ」の視聴者相談コーナーでみのもんたが言いそうな感じのセリフだ。かなり似ていた。吉世はおしゃべりなだけでなく、かなりお調子者な性格だとわかった。
吉世のペースに乗せられ、僕らはいつしか打ち解けていた。
吉世は僕と白竹にとって東京で初めての友達になった。
僕らはつらいことを忘れて話をした。多分、明日も吉世は僕らの部屋にやってくるだろう。
やがて話疲れて眠りについた。
寮生活初日が終わった。
その5.ダンスパートナーを探せ
入寮してから1か月ほど経ったある日、僕ら1年生は3年生幹事の池多さんによって1階の娯楽室に集められていた。
「娯楽室」という名称だが、ここで娯楽を楽しむ寮生はおらず、もっぱら寮内会議のために使われていた。それ以外だとまじめな寮生が試験期間中に勉強部屋として利用するのだと聞いている。
ダンパに関する説明がこの日の召集理由だった。
ダンパ、とはダンスパーティーのことだ。
新入寮生を歓迎するのが趣旨で、中野にある筑紫(つくし)寮という福岡県女子寮にも声をかけ、毎年ディスコホールを貸し切って、飲んだり踊ったりするらしい。
僕ら1年生にとっては入寮してから初めての楽しそうな行事だ。
入寮してすぐの頃、寮の食堂で新入寮生歓迎コンパというものがあった。
だがそれは単に1年生全員がつぶれるまでひたすら飲ますものだった。救急車で運ばれるやつまで出て、僕らにとっては災難としか言えない行事だった。
それを考えるとやっとまともなイベントがやってきたのだ。
「何でも星薬科大の女子寮も呼ぶらしいぜ」
「でもダンパで女を誘えんかったら、あとで罰ゲームやらされるってよ」
娯楽室はダンパの話でもちきりだった。
すでに部屋長(相部屋の上級生)などから多くの情報が伝わっているようだ。
ダンパには英彦寮、筑紫寮だけでなく、星薬科大学女子寮からも参加するのが恒例になっていた。
星薬科大学は英彦寮がある目黒本町からはそう遠くない武蔵小山にあった。
何代か前の寮生が関係を築いたらしい。
ちなみに、僕ら英彦寮の1年生は30人はいるのに筑紫寮の1年生は10人もいなかった。星薬科大の女子寮が加わることで、ちょうど人数のバランスが保たれるというありがたい計算になっていた。
英彦寮生はそれぞれの女子寮のことを、略してチクリョウ、ホシヤクと呼んでいた。
「チクリョウとホシヤクどっちにいく?」
と言うやつがいた。
そんなの実際に会ってからやろう、という声もあったがホシヤク派の方が断然多かった。
単純な話で、ホシヤクの方が圧倒的に女の数が多いことと、ここからの距離が近いことが理由だった。
やがて娯楽室に池多さんが現れた。
まだ肌寒いのに、鍛えた筋肉を見せつけるかのようにタンクトップ姿だった。
ガヤガヤしていた部屋がいっきに静かになり、僕らは全員、池多さんの方に向かって正座した。
「あー、足くずしていいよ」
池多さんはそう言って話しはじめた。
「ダンパの前にまず講習会をやるからな」
コウシュウカイ?
それは寮の食堂を会場としたミニダンパのようなものらしい。
1回で男女6~7人ずつ、毎回メンバーを変えて1週間にわたってやるとのことだ。
最初、なんでそんなことをやるのか意味がわからなかったが、いきなり僕ら1年生をダンパに参加させるよりも、事前に女子寮と知り合うきっかけを与えてやろうという手厚い配慮を感じた。講習会で仲良くなった子をダンパ当日にパートナーにする、というのが典型的なパターンだという。
しかしこれは裏を返すと、ダンパ当日ではフリーの子が減り、さらに部外者も加わることで競争が激しくなる、ということを意味していた。
それに1回の講習会が6~7人ずつだとすると、日によって出会いに当たりはずれがありそうだ。寮メシの献立みたいなものか。
さっきまでチクリョウとホシヤクどっち、と盛り上がっていたが結局、出会いは運的要素が大きいのかもしれない。
講習会から約1カ月後にダンパが開催される流れだった。
「これが講習会の日程ね」
示された紙に目を通し、僕の名前を最終金曜日に見つけた。
お相手はホシヤクだった。同じ日には白竹と吉世の名前もあった。
「いいかー、向こうの子に恥かかすようなことだけは絶対にするんじゃないぞ」
どんな子がやって来ても必ず誰かが相手をしろ、寂しい思いをする子を作ってはならん、という意味だった。
かわいい子に群がると、取り残される子が必ず出てしまう。そうした状況を許し、向こうの不満がたまっては女子寮との関係が危うくなる。
そこは状況を見て大人の対応をしろ、とのことだった。
それができないやつには鉄拳をくらわす、と池多さんは上腕二頭筋に力を込めながら言った。
—そう言われてもなかなか難しい注文だな—
律儀に守るやつなんかそういないだろう。
「あと、ダンパの日に結局一人で過ごしたやつは罰ゲームやるぞ。終わって会場出るとき全員証拠写真をとるからな。忘れんなよ」
と罰ゲームの内容が告げられた。
それは、パンツ一丁にネクタイ姿で自転車に乗り、ガソリンスタンドで女性店員に、「満タンね」と言うか、東横線の網棚の上に乗っかって渋谷から終点桜木町まで行く、の択一だった。しかもその様子をビデオに撮るという。
うげーッ
周りの連中もいっきに表情が変わった。
この寮には本当にやらせかねない恐ろしさがある。こうなるとタイプの子じゃなくても妥協していくやつも出てくるかもしれない。やっと訪れたまともなはずのイベントが、だんだんまともに感じられなくなってきた。
その6.決戦の金曜日
それから数日が経過し、講習会当日になった。
すでに行われた講習会では、女をめぐる争いがいくつか勃発したらしい。
この日のメンバーには白竹と吉世の他に、同じ日に入寮した美少年志水とオタッキー市野江がいた。
ここ数日、白竹は、
「あんたにはぜったい負けんよー」
と僕に挑発的な態度をとってきた。
この自信はいったいどこからくるのだろうか。ムカつくが、こいつは常に僕のことをあなどっているように思えてしかたがない。
しかし、このメンバーで強敵になりそうなのはマシンガントークの吉世か寮生一の美少年と言われている志水ぐらいか。ムーミン体型の白竹やオタッキー市野江は所詮敵ではないと見ている。こっちだって既に戦力分析済みなのだ。
講習会は6時開始だった。
僕が大学から戻ってくると、吉世と白竹が洗面所で歯を磨いたり髪をセットしたりとあわただしく準備をしているところだった。あのオタッキー市野江でさえ、いつもより微妙に髪型が整っていた。
「いちのえー、かあっちょいいー、ひゅー」
吉世がからかった。
市野江がいつもと違って身なりを意識しているのに気づいたようだ。言い方からして完全に格下扱いしている。
「なん言いよるとーッ、別に普通やん」
市野江はむきになって言い返した。
すでに吉世の術中にはまっている。
市野江は孫子など歴史物を得意気に語ることが多かったが、そこから得た知識は実生活にはまったく活かされていないようだ。
「別に普通よねッ」
市野江が真剣になって僕に同意を求めてくる表情に思わず、ぷぷッとふきだした。こんなやつが10数年後には外資系証券会社を渡り歩き、業界にその名を轟かせる国債トレーダーになるとはこの時は知る由もなかった。
吉世の方を見ると、鏡を見ながら前髪をいじりつづけていた。自分からからかっておいて、市野江の相手をするのは時間の無駄だと言わんばかりだった。
僕ら英彦寮1年生は10分前には会場の食堂に集まった。
食堂からは余分なテーブルやイスが取り除かれていた。
庭に通ずるガラス窓には暗幕が張られ、天井からはパーティー用グッズが吊るされている。音響機器まである。ぱっと見は一般家庭のクリスマスバーティーとそんなに変わらないレベルではあったが、それなりにディスコ風だった。会場の両サイドにはイスが向かい合うように並べられている。まずは男女で向かい合って座るのだろう。
僕らは一方のイスに腰を掛け、ホシヤクの子たちが来るのを黙って待っていた。みんなの横顔は緊張と興奮が入り混じっているように見えた。
池多さんがマイクを持っており進行役のようだ。1週間もぶっつづけでよくやるよなー、と思った。ちなみに池多さんは慶應ボーイ、噂によるとかなりのナンパ師らしい。
あとは何をやるのかよくわからないが、手伝い役の2年生が3~4人いた。
講習会の流れがどうとか、どこでどのように振る舞えとかはいちいち話はなかった。そのへんは臨機応変さが求められるようだ。
やがてプロレスの入場曲に使われそうな音楽が大音量で流れだした。思ったより演出に凝っている。
食堂入口の両開き式の扉が開くと、ホシヤクの子たちが入場してきた。
僕らは立ちあがり拍手で迎えた。
相手の1年生も僕らとちょうど同じ人数だった。男だらけのむさくるしいこの寮に女子大生があらわれる違和感は半端なかった。
ホシヤクの上級生が先導し、彼女たちを向かいのイスの前に並べたところで音楽が鳴り止んだ。僕らはお互いイスに座った。
マイクを持った池多さんが軽く挨拶し、さっそく自己紹介タイムを宣言した。
トップバッターは池多さんのそばに座っていた美少年志水だった。ホシヤクの視線が一斉に集まった。
—あまりウケ過ぎると後の僕らがつらくなるから、ホドホドにダメな感じの自己紹介で頼む—
他のやつらもそう願っているだろう。
志水はスリッパを脱いでイスの座面に登ると、後ろに手を組んだ。
「自己紹介させていただきまーす」
思いっきり体を反って叫んだ。
これは寮でお決まりの自己紹介だ。
ただ、このあとの志水の自己紹介はかなり微妙なものだった。
「自分、私立、いもほり高等学校出身……」
いもほり?県内にそんな高校はない。
母校である大濠(おおほり)の校名を「いもほり」ともじってきたのだ。笑いをとりたかったらしい。
「……」
変な間が生まれた。
普通なら自己紹介する寮生が出身高校名を言った直後に県内の知名度に応じて、「よッ、名門」とか、「どこやそれー」と周りの寮生から合いの手が入るところだ。
志水もそれを僕らに期待したのかもしれない。しかし、何の打ち合わせもない突然の出来事に反応する者は誰もいなかった。
志水は実在しない「いもほり高校」の出身者としてホシヤクの子達に認識されてしまった。
—ここは功を焦って余計なことをやらない方がよさそうだ—
自重することにした。他のやつらも無難に自己紹介していった。
お互いの自己紹介が一通り終わった。
気になる子が2人いた。
一人は身長が170cmくらいあるモデルっぽい感じの子、タイトなジーンズでスタイルがいいのがすぐにわかる。
もう一人は地方から出てきた無垢なお嬢様といった感じの子、膝丈の白いキュロットスカートがそう感じさせた。
どっちもセミロングで流行りのソバージュはかかっていない。さわやかなキレイ系美人と少女のあどけなさが残るカワイイ系美人で甲乙つけ難い。
自己紹介のあとは男女ペアになっての連想ゲームだった。
出されたお題が何なのか間接的な表現で相手にヒントを出す役と、そのヒントからお題が何なのか推測して解答する役に分かれる。正解すると次のお題が出される。
制限時間内に一番多く正解を出したペアが優勝だと説明があった。2年生によってイスが大きく円を描くように並び替えられた。
ペアで並んでイスに座り、順番がきたら円の中央に出てきて2人で協力して解答するらしい。
ペアはくじ引きで決まった。
僕とペアになったのはあのお嬢様風の子だった。
「がんばろうね」
彼女は僕の隣に座るとすぐに笑顔で話しかけてきた。
最初の印象ではおとなしそうに見えたが、実際に話すと活発な感じがした。向こうから話しかけてくれたおかげで自然に会話ができた。現役だと言うから年齢は僕の1つ下になる。
彼女は九州人と話をしたのも初めてらしく、僕が何か言うたびに話の内容というよりは方言の方をおもしろがった。「なまってるね」と笑われるのは心外だったが、会話ははずんだ。
「別にどこもなまっとらんやろ?」
「えー、やっぱりなまってるよー」
「どこらへんがなまっとるとー?」
「全部だよー」
僕はそれまで「なまり」とはズーズー弁のようなしゃべり方のことだとばかり思っていた。
しかし、東京では方言全般を指しているのだと初めて知った。語尾の「たい」も「ばい」も全部なまりに含まれるらしい。大学でも方言を指摘されることはあったが、「なまっている」と面と向かって言われたのはこれが初めてだった。
しばらく僕はゲームそっちのけで彼女と話を続けたが、白竹ペアの番になったときに会話が止まった。僕がもう一人気になっていたモデルっぽい子が白竹とペアになっていたのに気づいたからだ。白竹のテンションがかなり上がっているのがわかった。白竹のだらしない顔を見て、僕は顔をキッと引き締めた。
ゲームが終わると再び男女に分かれ、別々の場所でいったん休憩となった。
休憩中、池多さんが、
「今日が一番レベル高いぜ」
とホシヤクを評価した。
「特に、さっきおまえと白竹の相手をしていた2人が目立っているよな」
と僕に言った。
—ナンパ師目線でもそうか—
微妙な好みの違いはあったとしても、男が見るところは大体同じようだ。
「おまえらー、言っとくが、みっともない争いはだけはするなよー」
今度は全員に向かって言った。このあとはフリータイムの予定になっている。
しかし、フリータイムを前にさっそくもめはじめた。
「誰がいい?」
脇元が言った。こいつは僕と部屋が近いためよく話をするが、かなりの自信家だ。
「俺は白竹と一緒にいた子がいい」
脇元はみんなに問いかけておいて、自ら答えた。
「おれもッ」
続いて他のやつも反応した。
モデルっぽい子が一番人気だった。
白竹を囲むようにそれぞれ譲る気配はまったくなかった。先ほど池多さんが言ったことはこいつらには届かなかったようだ。
それにしても田舎者が大学入学早々、モデル系美人をゲットしようとは。こんなやつらに譲り合いの精神で、しかも、ホシヤクをもれなく相手しろだなんて無茶だ。
白竹たちの様子をぽかんと見ていると、今度は吉世が僕に、
「おれはあんたといた子がいい」
と言った。一番やっかいなやつが来た。
「あの子、チビはダメって言っとったぜ」
とっさに嘘をついた。
こいつとトークバトルになったら勝てる気がしない。最初から勝負しないのが最善の策だ。これで諦めてくれればいいのだが。
「ちょっとしょんべんして来る」
と僕はぼろが出る前に吉世から離れた。
トイレから戻ってくると、白竹たちがじゃんけんを始めていた。
向こうで休憩している子たちがこれを見ていたらどう思うだろう。誰が真っ先に行くか決めているようだ。
一人ずつ脱落していき、最後に勝ち残ったのは脇元のようだ。脇元は握りこぶしを作って喜んでいた。
負けたからといってこっちには来るなよ、僕はじゃんけんの敗者に向かって心の中でつぶやいた。
フリータイムになった。
僕は先ほどペアになった子のところに行き、
「名前何やったっけ?」
と先手必勝で話しかけた。
洋子という名前だった。ここは何としても洋子を死守したい。他のやつらにつけ入る隙を与えないためにも、何でもいいからしゃべり続けようと思った。
「ねえ、今までつきあったことある?」
とりあえず興味のあることから聞いた。
「ないよー。女子高で出会いとかなかったし」
直球で返ってきた。この分だと何でも答えてくれそうな気がしてちょっとうれしくなった。
「ふーん、おれも一緒。共学やったけどね」
「さっきちょっと話して、なんかそうかもって思っちゃった」
—さっき出会ったばかりなのに、結構言ってくれる—
「なんでそう思ったと?」
「えー?なんとなくだよー」
「もしかしてバカにしとるやろ?」
「そんなことないよー」
「そんなことあるって顔しとるぜ」
「いやいや、もしウチの大学に来てたらきっとモテモテだよー」
—それなりに男女の会話っぽくなってきたのかな—
そう思っていると、僕らのところに志水が近寄ってきた。
確かこいつ、さっきのじゃんけんに参加していたはずだ。負けたから標的を変えてきたらしい。
志水は話をする僕らの横まで来て止まった。
「なんか用?」
と僕が志水に言うと、
「勝負の世界は厳しいよ」
志水は僕に向かって訳のわからないことを言い、ニヤニヤしながら会話に割り込もうとしてきた。
志水は、
「ねえねえ、こいつの方言かなり変じゃない?」
と洋子に話しかけた。
さっき連想ゲームのとき、僕らが方言を話題にしていたのを聞いていたようだ。
—おまえだって、いもほり高校のくせに—
そう思ったが、2人で争っても雰囲気が悪くなるだけだ。仕方がないので志水も会話に入れてやろうと思った。
突然の参戦者に、洋子が、
「2人は東横線を使ってるんだよね?」
と当たり障りのない話題に変えてきた。僕と志水がケンカしないように気を遣っているようだ。
「まあね、それがどうしたと?」
「東横線ってトレンディーな感じなんだよね?いいよねー」
ホシヤクの寮は大学とセットなので電車に乗る必要がない。電車通学にあこがれているらしい。僕からするとギリギリまで寝ていられるホシヤクの寮の立地環境にあこがれる。
「東横線って言っても変な乗客もいるぜ」
僕は東横線に乗って学芸大学から渋谷に向かっていたときに、サングラス姿の見た目が30歳くらいの痴女に遭遇したことがあった。混雑の中、電車が揺れるタイミングに合わせて股間にソフトタッチしてきたのだ。そのときの話をしてみた。
「えー、まじー?」
洋子の反応は大きかった。
志水は「ウソばっかり」と言って僕の話を疑った。でもこれは本当の話だった。意外に反応があったので、適当に話を掘り下げていった。
「電車通学なんかしたら痴漢に遭うだけやぜ」
男の僕でさえ遭遇したのだ。「あんたみたいな子が遭わないはずがないじゃない」とあのときを振り返りながら言った。
変な体験だったが、この場の会話には役に立った。
このあと志水は脈がないと思ったのか、何も言わずにあっさりと退いた。
「行っちゃったね」
「うん……」
とりあえず志水との勝負を制したようだ。
勝負の世界は思ったより厳しくなかった。このとき僕は、美少年っていうのは、それだけでは勝負の決め手になるほど強力な武器にはならないのだと思った。
ただ、志水を返り討ちにしたことは大きかったらしく、もう他に僕のところに向かってくるやつはいなかった。
ひと安心して周りの状況を見る余裕ができたところで、僕はある異変に気づいた。
あのモデルっぽい子と話をしているのが脇元ではなく、なんと白竹ではないか。
その様子を、やや離れたところに一人で立ちつくす脇元がじっとにらみつけていた。休憩時間のとき脇元がじゃんけんに勝ち、真っ先に話しかけることになっていたはずだ。
しかし実際は、フリータイムがはじまると同時に白竹がその子のところにダッシュし、ずっと会話を独占し続けていたのだ。
機先を制し、白竹は完全に調子に乗っていた。
ここまで聞こえてくるインチキ東京弁がそれを感じさせた。
主に白竹が話をし、モデルっぽい子が聞き役になっていた。
たった今は白竹の好きな音楽の話をしているようだ。サイモン&ガーファンクルがどうとかこうとか聞こえてくる。大げさな身振り手振りは他のやつへの牽制効果にもなっていた。
さらに周りにも聞こえる声で、
「ダンパの日、一緒におどろーよー」
といち早く約束を取りつけようとした。
モデルっぽい子は笑顔でうなずいた。
—マジかよ—
あまりにも簡単すぎるダンパカップルの誕生だった。
これぐらい図々しいのがちょうどいいのかもしれない。見倣おう、と思った。
こうして白竹は早々に脇元が反撃する芽を摘んでしまった。
しばらくするとダンスタイムになった。
大音量で激しい曲がかかり、各自それまでの話し相手と踊ることになった。実際には踊るというよりも向かい合って適当に揺れているだけではあったが。
ペアになっていないやつは係の2年生によって残った子のところに引きずられていき、無理やりくっつけられていた。
白竹は喜びを表現するかのように、ケツを大きくふりふりして奇妙な動きをしていた。
最後に食堂が暗くなり、チークタイムになって講習会は幕を閉じた。
別れ際、僕も洋子からダンパの日の約束を取りつけることができた。
白竹のマネをしたらあっさり成功した。
彼女たちの見送りが終わり、会場の食堂に戻ると、脇元が白竹のところに駆け寄った。
「きさん、ズルいったい。じゃんけんに負けたやろうがッ」
と詰め寄った。
白竹は、
「なんいいよるとー、あんたも話しにくればよかったやん」
とまったく意に介していない様子だった。
それ以上、脇元は理屈で言い返すことはなかった。今更言い合っても虚しいだけだ。
「結局早いもん勝ちやー」
白竹が高らかに叫んだ。
その言葉で脇元の怒りに火がついた。
脇元は自分のスリッパを手に取って、白竹に思いっきり投げつけた。
するとスリッパは白竹を外れ、運悪く、たまたま食堂にやってきた上級生にぶち当たった。
怒られる脇元を尻目に、白竹は勝者の笑みを浮かべ会場から去っていった。
本日の最激戦を制した白竹。
しかし、同時に脇元という敵を作ってしまうのだった。
その7.マンパチ
ある金曜日の夕方、僕と白竹が部屋でテレビを見ていると、
「おまえら明日マンパチせんや?」
3年生の浅倉さんがいきなりドアを開けて部屋に入ってきた。
とっさにテレビを消し、僕らは浅倉さんの方に向かって正座した。
マンパチ、とは萬八運送という引っ越し業者の通称である。寮生にとってマンパチというのは引っ越しバイトのことだった。
「自分、やりまーす」
白竹が即答したので、僕もつられてやると言った。
「明日朝8時に門前集合ね」
そう言うと浅倉さんは、バンッ、といきおいよくドアを閉めて去っていった。
部屋でごろごろしていても、こうしたバイトの話が向こうからやってくるのは寮生活のいいところだ。
普通なら無料求人誌で良さそうなバイトを探し、バイトの面接に行き、採用されなくてはならない。
寮バイトはこれらを全部すっ飛ばして話がやってくる。当日暇かどうかで判断すればいいだけなのだ。
就活中の4年生が風呂場などでコネがどうとか言っているのをよく聞くが、バイト一つとっても世の中コネの力は大きいことを実感する。今回のようなコネバイトは先人達の努力のおかげだと言ってよかった。
引っ越しバイト以外にも出張パーティーの給仕、近所の居酒屋、競馬場の警備員、飲食店経営者の息子の家庭教師(これは東大生限定)などさまざまな寮バイトがあった。
とりわけマンパチはかなりの歴史があり、寮バイトの代名詞と言ってもよかった。
いつの間にか白竹は2回もマンパチを経験していた。
よく思うのだが、こいつの探求心と行動力はなかなかのものだ。結果に結びついているかどうかは別にして、行動は常に僕の1歩先を行っている。
相場は7千円~1万円。仕事内容に当たりはずれはあるが、重いものがなければ楽勝、と白竹は言った。それと昼メシの弁当がすごいらしい。
僕はこれが人生初のバイトだ。
僕としては家庭教師のような短時間のチマチマしたバイトよりは、一日がっつりやって体が鍛えられ、それなりのお金がもらえる引っ越しバイトの方が理想だ。それに、汗を流して稼いだ金で飲むビールはうまいのだろう。
次の日の朝、僕と白竹は7時50分頃に寮門のところに行った。
靄がかった中、すでに一人が来ているのに気付いた。
1年生の井上泰治だった。
身長は180cmくらいあるが、かなりのヤセ型だ。ギャグマンガ「3年奇面組」に出てくる骨岸無造というガリ勉キャラに似ていた。
こんなやつにもマンパチがつとまるのだろうか?
僕が、
「マンパチ何回目?」
と聞くと、
「は、はじめて」
とほとんど聞き取れないくらい小さな声が返ってきた。こんな声量でよくあいさつ回りを乗り切ったな、と思った。
これが泰治との初めての会話だった。
「ねー、たいじって大学どこー?」
白竹がたずねると、
「東大」
と泰治は恥ずかしそうに答えた。
口数は少なそうだ。
井上という名字の寮生は他にもいたので、みんなはこいつのことを、泰治、と下の名前で呼んで区別していた。
やがて3年生の水木さんと佐太さんがやってきた。
今日のマンパチは総勢5人だった。
僕らが全員そろったのを見はからったかのように萬八運送と書かれた2トントラックがやってきて門の前に止まった。
「乗んなよ」
萬八運送の社長、通称マンパチオヤジだった。ぱっと見、60歳前といったところだろうか。
僕らが荷台に乗り込むとトラックが動き出した。どこにあるのかわからないが、まずは同じ目黒区内にあるというマンパチ事務所に向かうらしい。
トラックの荷台に乗るのは初めてだったが、車酔いしやすい僕にとってはあまり乗り心地の良いものではなかった。荷台の中で僕と白竹、泰治の3人は会話することもなく、あぐらをかいたまま揺らされ続けた。
事務所には10分程度で到着した。
事務所に入るとオニギリとみそ汁が用意されていた。それを食べ終わると、支給された紺色長袖のマンパチ上着を着て引っ越し現場に向かった。
今回はある母子寮から別のアパートへの引っ越しだった。
母親と3歳、5歳くらいの娘2人の母子家庭で、荷物の量は思ったほど多くなかった。
しかし、母子寮からの搬出、アパートへの搬入はいずれも階段の上り下りによらなければならないという手間のかかる引っ越しだった。
段ボールなどの小物は一人で、冷蔵庫やタンスなどの大物は2人がかりで、マンパチオヤジが待ち受けるトラックまで運んだ。僕らが運んだ荷物をマンパチオヤジはトラックの荷台に隙間なく詰め込んでいった。
荷物はこうやって持つんだぞ、とか、どういったものから運べ、という指示は特になかった。そこにあるものを別の場所に運ぶ。それだけの話で、細かいことは体験して身につけろということか。
それが災いして作業中にアクシデントが起きた。
僕と白竹が風呂敷に包んだ布団を2人がかりで運んでいたときだ。
白竹が風呂敷を背負うように、僕はそれを後ろから持ち抱えるようにして階段を下りていた。僕への荷重が急に軽くなった。
「あうーッ」
白竹が叫んだ。
つんのめったのか、それとも背中にのしかかる重量に耐え切れなくなったのか、白竹は数段下の踊り場までうつ伏せの状態でいっきに落下した。
ベチッ、と冷たい音がした。
白竹は背負っていた風呂敷に押しつぶされた。絵に描いたような落下劇だった。
急な出来事に僕は数秒間、下敷きになった白竹をぽかんと見ていた。ただ、直感的に大丈夫だろうと思った。
「おいッ、大丈夫かッ」
叫び声を聞いた水木さんと佐太さんが駆けつけ、白竹にのしかかっていた風呂敷を持ち上げた。
「あううッ」
そう言って白竹は立ち上がった。
思ったとおり無傷だった。
白竹は異様なほど体が柔らかかった。コブラツイストや卍固めをかけても、逆にこいつがヘビやタコのように感じられ、まったく効かないのだ。そこいらの打撃はなんなく吸収する脂肪も備えている。そのおかげで今回は大事故に至らなかった。
しかしそれ以後、白竹は、
「今から軽いものを持つ係やー」
と言って楽な荷物しか運ばなくなってしまった。
搬出作業が終わると親子は助手席に、僕らは荷台のわずかに余ったスペースに乗り込んだ。
トラックが走り出すと、
「うわーんッ」
と助手席から子供2人の泣き声が聞こえてきた。見送りに来た母子寮の子供たちも泣きながら追いかけてきた。
その様子を荷台の隙間から眺めた。こういうのが引っ越しバイトの醍醐味かもしれない。
目的地に到着すると、さっきまであんなに泣いていた子供2人は、わーッ、と元気よく飛び出した。そしてかまってほしいのか、果敢に僕らの仕事を邪魔してきた。
僕は子供たちに、
「こらっ、引っ越しを手伝いなさい」
と言って、ぬいぐるみなど当たりさわりのないものを持たせた。
搬入作業は搬出よりきつかったが、初めてのバイトなのでマンパチオヤジに認めてもらおうと、僕はあえて重そうなものを選んで運んだ。
そんな心情を読み取ったのか、マンパチオヤジは、
「重くないかい?力があるんだなあ」
とタバコをふかしながら僕をおだてた。
泰治も重い荷物を選んで、黙々とまじめにやっている。
一方、白竹は電気ポットとか傘など、へたをすれば先ほど僕が子供に持たせたものと重さが変わらないものばかりを運び続けた。
—こいつには意地とか見栄はないのか?—
僕の視線に気づいた白竹は悪びれる様子もなく、
「安全第一やー」
と叫んだ。
すでに楽をすることしか考えていないらしく、どう見ても初々しさはなかった。マンパチオヤジの視線は気にならないのか。
途中で昼メシをはさむことになった。白竹から聞いていた噂の弁当だ。
「誰かついて来いよ」
マンパチオヤジが買い出しに行くぞと言った。僕がお供することになった。
「おまえさんは何を専攻してんだい?」
マンパチオヤジが運転しながら僕に話しかけてきた。
「かがくです」
「それってサイエンスの科学かい?化け学の方かい?」
「ばけがくの方です」
「するってぇとなにかい?将来は薬とか作ったりすんのかい?」
「いやー、まだわからないですね」
「そうかい。勉強がんばんなよ」
「はい」
マンパチオヤジはちゃきちゃきの江戸っ子言葉だった。
僕からも、
「うちの寮とはいつ頃からなんですか?」
と聞いた。
僕が生まれた頃ぐらいからのつき合いだそうだ。初代寮監のときにマンパチバイトが始まったと聞いて、今の寮監が2代目なのだと知った。マンパチオヤジは英彦寮の歴史についても詳しかった。マンパチオヤジは弁当屋につくまでの間、過去の名物寮生のことを語り続けた。
弁当屋の前に車が止まった。
目黒通り沿いの、たきたて弁当、という店だった。
かき揚げからうな丼まで豊富な品揃えで、特に“ドラゴンズ”とか“カープ”といったセリーグの球団名を冠したメニューが印象的だった。すでに注文済みだったらしく、店先のカウンター越しに「マンパチです」と言うだけでよかった。「はい、ヤング6つねー」とおばちゃんが弁当袋を手渡してきた。
あとは近くの自動販売機で人数分のジュースを買って現場に戻った。
弁当屋で受け取った“ヤング”という名前の弁当は、おかずとご飯で2箱あった。おかずが入った箱は衣がやや厚めで、ひと口やふた口では食べきれないサイズのから揚げ数個とねっとり感のあるしょうが焼きで埋め尽くされていた。ご飯の量も定食屋の大盛メシぐらいはあった。マンパチ弁当と言えばこの“ヤング”が定番らしい。へたすれば胃もたれ、胸焼けしそうなこの内容で400円だからかなり安い。ちょっと感動があった。
(ヤング)
僕らはマンパチトラックの荷台で弁当を食べた。
「少しやるぜ」
僕ががっついていると、水木さんがから揚げとご飯を僕のところについできた。
食い終わって休憩すると、満腹感からイッキに働く気が失せた。それで後半戦の仕事はトーンダウンしてしまった。
幸い、残りの荷物は大したことがなく、引っ越しは午後2時頃に終わった。後半戦、子供は疲れて寝てしまったようで、作業を邪魔されることはなかった。
結局この日、僕が戦力になったのかどうかはよくわからなかった。
バイト代は7千円だった。
マンパチオヤジが、
「また来てくれよな」
と言って、僕らを寮まで送ってくれた。
この日を境に、白竹はマンパチを敬遠するようになった。
僕にとってはこれが、その後マンパチのプロと言われるようになる記念すべき第一歩となった。
その8.ダンパの前の出来事
ダンパ開催日が近づいてきた。
一緒に踊ろうと約束することができ、浮かれまくっているやつがいるかと思えば、講習会では何もできずに今から罰ゲームに怯えるやつもいて、寮内は悲喜こもごもとしていた。
そして講習会後、最大の話題は白竹があのモデルっぽい子を誘ったことだった。
違う日の講習会だったやつらが、
「白竹が誘った子ってどんな感じ?」
と僕に聞いてきた。
僕は、
「ホシヤクナンバーワンで間違いない」
とか、
「そこらへんの芸能人のはるかに上をいく」
と適当に答えていた。そのせいなのか、噂は大きくなる一方だった。
一方、白竹は講習会が終わってからというもの、鏡に映る自分の姿を見ては、
「おれってかっこいいー」
と、うっとりしていた。
その気持ちの悪い様子を見ていると、どうしてあの子がこいつの誘いを受けたのか謎が深まるばかりだった。
さらに噂が広まるにつれて、
「おれってフランス人みたいやろー、ピエール白竹って呼んでいいよー」
とだんだん調子づいてきた。
白竹の顔立ちは中東系で、フランス人というよりはイラン人の方が近い。しかし、今や白竹にそうしたつっこみをいれる者はいなかった。白竹は誰をも黙らせるだけの結果を残している。何を言っても無駄なのだ。
ただ、そんな白竹に一人だけ激しい憎悪を向けるやつがいた。講習会で白竹に苦汁をなめさせられた脇元だ。
「くそッ、あのイラン人がッ」
脇元が言った。
僕は脇元とは部屋が近いということもあって、顔を合わせるたびに白竹に対する怒りを聞かされていた。
脇元は講習会のことを思い出すたびに白竹への怒りが蓄積しているように見えた。日に日に口調が強くなっていくがわかった。まあ、気持ちは理解できる。そうそうめぐり会えない美人を目の前でかっさらわれたのだ。それもあの白竹に。野球ラブコメマンガ「タッチ」のヒロイン浅倉南を三枚目キャラの勢南高校西村に横取りされたぐらいのやるせなさはあるのだろう、と僕は脇元の胸中を推し量った。
これまで寮生同士の争いはほとんどなかったが、講習会をきっかけに争いがいくつか勃発していた。
「脇元バリバリ怒っとるぜ」
僕が白竹をからかうと、
「そんなん無視やー」
と強がった。
しかし、さすがに脇元と直接顔を合わせたくないのか、風呂場や食堂に脇元がいるのに気が付くと、その場から立ち去り時間をずらしていた。
脇元にはかわいそうな結果になったが、その他の連中を見ると、なんだかんだと当日の約束をしたやつが多かった。
講習会のとき僕が一番恐れていたマシンガントークの吉世は別の子を誘っていたし、志水は洋子をあきらめたあと、美少年をこよなく愛するアグレッシブな子につかまったらしい。オタッキー市野江はおとなしそうなメガネっ子を誘ったと言った。
「ホシヤクに電話しに行かん?」
吉世が言った。
「何の電話?」
「当日の待ち合わせ時間とか場所とか、決めといた方がいいやろ」
そう言えば僕も当日のことは何も決めていなかった。
当日の会場は相当混雑するそうである。会場内に入ってしまうと相手を見つけづらいので、入場前に合流した方がいいという判断だ。
僕たちは寮の近くの公衆電話からかけることにした。寮の中にも緑の電話があるが、あまり他の寮生には聞かれたくない。
ホシヤクの寮には電話が一台しかないのか、それとも女の長電話で全部占領されているのか、常に通話中の状態でなかなかつながらなかった。
僕らは順番にかけなおし続けた。やがて白竹の番のときに電話がつながった。
電話をとった人に呼び出しをかけてもらった。しばらくして例のモデルっぽい子が電話に出てきた。
「おひさしぶりー、お元気ー?」
白竹が受話器に向かって、気持ち悪い猫なで声で言った。そして僕と吉世をうっとうしいという目で見ると、手の甲を僕らの方に向けて、シッシッ、と追い払う仕草をしながら電話ボックスのドアを閉めた。
僕と吉世は、白竹が会話する様子を電話ボックスの外から見つつ、中にいる白竹にからかう素振りを示してふざけていた。
そのうちニヤニヤした白竹の表情が変化していくのに気付いた。なにやら真剣な顔になっている。
「何か白竹の様子、変やない?」
「会話聞いてみようぜ」
僕らが電話ボックスの扉を開けると同時に白竹が絶叫した。
「そんなあーッ、約束したでしょう?」
やりとりは続いたが、そう長くはなかった。
「お願いしますよーッ、ダンパの日だけですからーッ」
受話器の向こう側からブチッと電話の切れる音がした。
白竹が肩をうなだれて出てきた。
目が完全に死んでいる。さっきまでお花満開だったこいつの姿が、あっという間に極寒刑務所の囚人に変わった。
講習会の成果は水の泡となり、白竹に残ったのは脇元との確執だけだった。
一部始終を見ていた僕と吉世は、白竹の仲間だと思われたくないのでホシヤクに電話するのをやめることにした。
寮への帰り道、白竹は泣きそうだった。
「もうだめやー、きっと罰ゲームやーッ」
講習会のとき、最後のケツふりダンスがあまりにも気持ち悪かったのだろうか?
このとき何が決め手で白竹がふられたのか、それは今でも謎のままである。
その9.海が聞こえる
夏になっていた。
エアコンがない寮の中は地獄だった。部屋にある冷房器具は扇風機とうちわだけだ。
寮生活を悩ませるのは暑さだけではなかった。
暑くなったことでゴキブリが大量発生した。
毎年のことらしい。1匹見たら百匹はいると思え、とよく言われているが、ここでは実際に毎日百匹近く見る。廊下はひっくり返って動けないところを寮生に踏みつぶされ、ぺちゃんこになったゴキブリだらけだった。週に1回の掃除のときにまとめて取り除くのだが、きりがなかった。最近はゴキブリを見ても驚かなくなった自分に驚いてしまう。
居住環境としては良い点をなかなか見出せなかったが、もうこの時期になると退寮者は少なくなっていた。どんなに不便でもそれぞれ工夫して、住めば都、にしているようである。
最善の策は寮にいる時間を少なくすることだ。
吉世は最近、渋谷の銀座アスターで給仕バイトを始めたので、寮にはあまりいない。エアコンのきいた涼しい店内で社会勉強ができて給料までもらえる、みたいなことを言っている。吉世の紹介で近々白竹も同じ店でバイトするらしい。
春頃は、
「こんな寮、さっさとやめてやるー」
と言っていた白竹と吉世も、結局は最後まで残るだろうとみている。
僕は寮生活を豊かにするため自転車を買うことにした。まだ1年生で自転車を持っているやつはいない。
「おれ、チャリ買いに行くぜ。お前もどうや?」
と僕が言うと、白竹は、
「チャリのなんがいいとー?バイクでも買ったらー?」
と乗り気でなかった。
寮生にとって歩き以外のメジャーな移動手段はバイクだった。
しかし、バイクに乗っている寮生は大なり小なり何かしら事故を起こしていた。それで僕はバイクに乗ろうとは思わなかった。免許をとらなくてはならないし、金もかかる。
自転車なら毎朝10数分かかっていた学芸大学駅までの通学時間を10分近く短縮できる。つまり往復で20分節約できるのだ。これを大学4年分に積算すると相当な時間になるだろう。
さらに、マンパチ御用達のたきたて弁当までも5分とかからないはずだ。マンパチでしか食べることができなかった弁当“ヤング”をいつでも気楽に買いに行ける。武蔵小山も5分圏内になると予想した。
僕が自転車を持つメリットを力説していると、
「やっぱりおれも買うー」
と白竹が心変わりした。
思ったより人の影響を受けやすいようだ。それにこいつ、寮生活を前提で物事を考えている。絶対に寮をやめないな、と思った。
僕らは2人で碑文谷ダイエーまで行くことにした。上の方の階に自転車売り場があったはずだ。
僕らはどんな自転車に乗るかはこだわりがなかったので、一番安い2万円のママチャリを買った。
帰りは自転車だった。久しぶりに乗る自転車は想像以上に快適だった。福岡の田舎でなく、ここ東京で乗っているという違和感も混じっている。バイクでも手にいれたかのようだ。
白竹も同じ気持ちになったのか、
「今から海を見るんやー」
と無邪気に叫んだ。
もうすぐすると寮メシを食える時間だったが僕は、「じゃあ行こうぜ」と言った。
空を見上げ夕日の位置から方位を予測した。武蔵小山の方に向かってまっすぐ進めばよさそうだ。
あまり考えなしに自転車をこぎだした。おそらく白竹も今は海に向かって何かを叫ぶ姿ぐらいしか頭にないのだろう。
武蔵小山商店街を通り過ぎたあたりで、だんだん地理感覚がなくなってきた。
さらに30分くらい経つと、どこを走っているのかわからなくなった。
やがてモノレールが走っているのが見えた。
「もうすぐやー」
僕らは夢中で自転車をこいだ。
さらに30分ほど経った。
—何だかおかしい—
倉庫や工場らしき建物が密集するエリアに迷い込んだ。さっきまでのようにまっすぐ進めなくなっていた。
僕らの行く手を阻むかのように道が行き止まりだったり、途中で大きく横に曲がったりする。誰かに道を尋ねようにもまったくひと気がない。
近くには運河が流れており、海のそばまで来ているのは確かだ。ここまで来たら意地がある。引き返すわけにはいかない。
「あきらめたらだめやー」
僕らはなおも自転車をこぎつづけた。
もうどれだけ時間が経ったのかもわからなくなった。
辺りは真っ暗になっていた。自転車のライトなしでは移動もままならない。
—あれ、今何をやっているんだったっけ—
と一瞬、目的を忘れかけた。
海が近いのは雰囲気でなんとなくわかったが、こんなに暗くては何も見えないだろう。ここまで来て引き返すのは実にくやしい。かといって帰ろうにも帰り道がわからなかった。とっくに日が沈んでおり西か東かさえわからない。
「海はどこやー」
白竹の声が暗闇に吸い込まれていった。
もう諦めようと話した。
今引き返せば晩めしにギリギリ間に合うかもしれない。仕方なくそうすることにした。
僕らはなんとか暗闇から街灯のある通りに抜け出すことができた。あとは標識を頼りに寮に戻れるだろう。
しばらく行くと道が2つに分かれていた。標識からはどっちに行けばいいのかわからなかった。
僕らは、それぞれ別の道を選んで自転車をこぎだした。
その10.美少女な美少年
「いやだッ、そんなの絶対やりたくない」
志水が自分の部屋で叫んだ。
そこには数人の1年生が集合していた。僕らはもうすぐ開催される寮祭に向けた打ち合わせをしていた。
寮祭とは3年に1回開催される寮のお祭りである。
寮が建てられた50年代からずっと行われている最も伝統のある行事だった。昼間は神輿や仮想行列で街を練り歩き、夕方からは寮の庭に屋台を出し、特設ステージでいろんな出しものをすることになっている。
その中に、寮内を6ブロックに分けて、それぞれのブロックから選出された寮生の女装ナンバーワンを決定するというアホなコンテストがあった。ただ、これがなくては寮祭ではない、とまで位置付けられるものだった。
コンテストの名称は「ミス英彦」。各ブロック一名ずつ、1年生がエントリーすることになっている。今、まさにミス英彦のことで集まっているのだ。僕らのブロックは志水を代表にしようということで話が進んでいる。
正統派でいくブロック、ゲテモノでいくブロックの2派に分かれていた。伝統的にはゲテモノ有利らしいが、寮生一の美形を活かした志水の女装が、これを覆せるかが今回の注目ポイントと言ってもいいだろう。
しかし、本人はがんとして首を縦に振ろうとしなかった。
「しゃーないやろ。上の人たちも、お前に期待しとるんぜ」
芳野が言った。
芳野は2浪だったこともあり、みんなは“仙人”と崇めたてていた。芳野はガタイもよく、普段から志水や何人かの1年生を従えていた。
「ぼく、やらない」
折れる気配はなかった。
大勢の前で見世物になるのが嫌だという気持ちが伝わってきた。おそらくこの寮に入るまでは特に目立ったことをせず、平穏に生きてきたのだろう。趣味で恋愛マンガを描いているらしいのだが、自分の世界にひたっているだけで満足なのか、描いたマンガを絶対に見せようとはしない。吉世が志水と高校が一緒だったらしいが、情報通を名乗る吉世も志水のことは知らなかったと言っている。
それにしても今回は、普段はしぶしぶでも従うはずの芳野仙人の言うことさえも聞かない。
「おまえしかおらんやろ」
「そうたい。いいけんやれやん」
志水以外は全員、志水しかいないと思っている。
しかし、志水はなぜか被害者意識を持っていた。
「なんでぼくがやらんといかんの?」
「美少年やからやろ」
みんな口をそろえて言った。
この場合、あまり誉め言葉にはなっていなかった。志水は女性的な顔立ちなので、女装するならおまえしかいない、という意味だ。
「ここで女装すりゃおまえの株がいっきに上がるかもしらんぜ」
僕も説得を試みた。どうせ他に大した仕事をするわけでもないのだから、せめてそれぐらいやってみんなを楽しませろよ、と思う。
「じゃあ、おまえがやればいいやん」
と志水が言い返してきた。
僕が女装しても美少女風にはならないし、かと言って優勝候補に躍り出るほどのゲテモノにもならない。他の連中もやはり中途半端な感じで終わるだろう。
「おまえが出れば絶対一番になれるぜ」
という逆効果な励ましもあり、結局、この日は何も決まらず解散となった。
それから他の準備で忙しくなり、しばらく志水を説得することを忘れていた。
寮祭の準備は数週間をかけて行う大がかりなもので、ミス英彦のことだけをやっているわけにはいかないのだ。
寮祭実行委員会というのが設置され、僕ら末端にはさまざまな仕事が降ってきた。
・寮祭実行に必要な予算の管理
・近所の店からスポンサーを探す営業
・当日街を練り歩くときに担ぐ神輿、特設門などのものづくり
・チラシや冊子などの企画編集
・警察届出など寮祭を実施するのに必要な法的対応
・屋台でふるまうメニューの検討と当日の調理
など事細かに仕事が決められていた。
4年生がそれぞれの仕事を指揮する。3年生から1年生が手足を動かす役割分担になっていた。
工学部系や商学部系の寮生は腕の見せ所だった。大学の専攻など自分が得意とすることを活かして任務を遂行する寮生を見ていると、うらやましく思えた。
僕が専攻する化学はまったく役に立たず、この先がちょっと不安になった。ものすごい発見とか発明につながるのは化学だろうという安易な発想で選んだ分野だったが、現実を見ているやつらに引き離されている気がした。
寮の廊下は作りかけの神輿やら垂れ幕やらでごったがえしていて、毎晩遅くまで誰かがトンカチを叩く音がしていた。
寮祭が間近に迫ってきたので、吉世たちのブロックの状況を聞いてみた。
「例の女装、おまえのところは誰がでるとや?」
「おれたい」
吉世が言った。正統派勝負で行くらしい。吉世は、福岡では有名な天神愛眼ビルのCMに出ている女の子に似ていた。
「おまえのところは?」
「まだ決まっとらん」
「なんで?志水で決まりやないと?」
やはりそう思うようだ。
志水は自分がやりたいかどうかという基準で考えているようだが、寮としてはステージが盛り上がるかどうか、だけなのだ。ここは志水が出ないと周りが納得しないだろう。当日はかなりのOBがやってくるらしい。40年近い歴史のある寮なのだ。竹下登を義理の父に持つ人もいると聞いた。
寮祭を明日に控え、とりあえず僕らはセーラー服などステージで必要なものだけは準備した。ホシヤクなどから調達したものだった。大体のサイズは志水に近かった。
あとはこれをいかにして志水に着せるかだ。
—ある意味、北風と太陽だな—
僕は志水に、
「明日出たら、来年部屋長(相部屋の上級生)になれるかもしらんぜ」
と寓話に倣い、太陽になったつもりで優しく説得しようとした。
明日、ステージの司会進行は次期幹事長候補の水木さんがやるらしい。幹事長とは寮生にとって人事異動に匹敵する部屋割決定権を持つ寮内の最高権力者なのだ。上級生と下級生が相部屋になるという掟があるこの寮において来年の部屋割りがどうなるのかは、寮生の最大の関心事である。ここまで寮生活で目立ったことをしていない志水としてもアピールポイントになるぜ、と言った。
「それに今は嫌かもしらんけど、あとで必ずいい思い出になるはずやぜ」
と付け加えた。
最後に、
「おれがおまえだったら絶対にやるぜ」
とダメ押しのつもりで言った。
—よし、これで志水もその気になっただろう—
ずっと黙って聞いていた志水が口を開いた。
「いやだ」
僕の説得はあっけなく失敗に終わった。
今度は芳野が、
「しばらく俺と志水だけで話させてくれ」
と言った。
僕らは2人を残して部屋から出た。あとは芳野に任せるしかなかった。
少し時間が経ち、2人が姿を現した。
「志水がやることになったぜ」
芳野が言った。
—いったいどんな仙術を使ったんだ?—
志水の方を見ると、下を向いて半べそをかいていた。どう見ても話し合った風には見えない。今回は北風に軍配があがったようだ。
当日、ミス英彦で志水がステージに姿をあらわすと、
「おおーッ」
と歓声が上がった。
女性客からも、「キャーッ、かわいい」と悲鳴のような声が出ていた。
ただ、ミス英彦の栄冠は厚化粧をして裸にエプロン姿で料理をする演技で観客を笑わせたやつに輝いた。
確かに志水の女装は見た目としては良かったが、突っ立っているだけで人を楽しませる要素に欠けていた。準備不足と伝統的にゲテモノ有利だったこともあり、この評価は致し方なかった。それでも志水は準ミス英彦ということになった。
ミス英彦が終わり、ステージから降りた志水は一刻も早く衣装を脱ごうとした。
すると、
「おい志水、待てい」
志水と記念撮影しようとする連中が目を光らせて列を作っていた。しばらくセーラー服を脱ぐのは難しいだろう。
今回のステージが志水にとっていい思い出となる日が来るのかは謎だと思った。
その11.ギルガメ部屋
「留守中頼んだぜ」
部屋長(相部屋の上級生)の白城さんが言った。
文化祭シーズンに合わせて、白城さんが歯の矯正手術をするため1か月ほど入院することになったのだ。
「まかせてください」
平静を装おうとしたが、喜びを隠し切れない。
僕はこの予期せぬ出来事に浮かれはしゃいだ。別に白城さんが嫌いだということではない。相部屋が原則の英彦寮で、夢の一人部屋が味わえるからだ。
部屋っ子にとって理想の部屋長とは何か?
吉世が僕らによく問いかける質問だ。そして吉世は答えも用意している。それは、
部屋にほとんどいない部屋長
だった。
吉世の部屋長はいつも部屋にいて、近所の3年生のたまり場になっていた。吉世の部屋の前を通ると、深夜でもガヤガヤした声とゲーム音が聞こえてくる。
「気前がいいとか、理解があるとか、そんなのはどうでもいいったい」
と吉世は力説する。
部屋にいない部屋長が理想の部屋長、というのは1年生の間でほぼ一致した意見だった。それだけ1年生には寮に居場所がないのだ。
白城さんはよくメシをおごってくれる。それはそれで有難いのだが、それよりも世界旅行にでも行ってくれないかな、と恩知らずなことを思ってしまう。食うに困る生活だったらメシを食わせてくれることは重要かもしれが、寮生活は賄い付きなのだ。おごってもらう有難みが一人部屋のそれを上回ることはないだろう。学校から戻ってきたときに部屋の前に白城さんのスリッパがあるのを見ると、「いるのか……」と多少気が滅入る。
以前、流行語に選ばれた「亭主元気で留守が良い」の専業主婦の心情がなんとなくわかる気がした。
「なんかあったら連絡してくれ」
そう言って白城さんは部屋をあとにした。
部屋のドアが閉まると同時に、入寮してから一度も味わったことのない解放感がわき上がってきた。
好きなだけテレビを見てもいいし、真夜中まで酒を飲んで過ごしてもいいのだ。冷蔵庫に残っている白城さんの食い物もいただき、と思った。
白城さんの入院(というより僕が一人部屋状態になったということ)は瞬く間に1年生の間に広まった。
ただ、夢にまで見た一人部屋だったが、いざとなったらどう堪能したらいいのかわからなかった。
なんかもったいないと思ったが、机に向かって読みかけの本を読むことにした。これでは白城さんがいるときとあまり変わりがない。
「うらー」
読書中、同じ1年生の山下がやってきた。
「おまえ、ノックぐらいしろ」
「わるいわるい」
軽い口調からは、こいつが絶対に悪いとは思っていないのがわかった。
山下は部屋に入ってくるといきなりテレビをつけ、白城さんのベッド(2段ベッドの下段は部屋長のものという決まりである。当然、1年生は腰を掛けてはならない)に腰をかけた。白城さんが戻ってこないと安心しきっている。そして、
「なんか飲んでいい?」
と言った。
僕が振り向いたときには、冷蔵庫を開けて2リットルのペットボトルウーロン茶をラッパ飲みしていた。
山下は図々しくて反省しない性格なのだ。
寮生活を続けていると、少なくとも同学年同士では素の性格がでる。これをどの程度許せるかで付き合いの深さが決まる、と僕は感じている。
志水はこの山下の性格が許せないようで、自分の部屋への出入りを禁止している。志水が所有するスーパーファミコンのコントローラーを山下がスナック菓子を食べた手で触り、べとべとにしたことがあり、それが許せなかったようだ。山下はこの時も、でへへ、と笑っていた。
とにかく山下のやることにいちいち目くじらを立てるようではやっていられない。
しばらくすると市野江がやってきた。
「さっそく、くつろぎに来とるな」
市野江が山下に向かって言った。おまえもやろ、と僕は思った。
市野江は山下のように白城さんのベッドには腰をかけず、床にあぐらをかいた。不意に上級生があらわれた場合のことを考えているらしい。このあたりは性格がでる。
僕は机に向かって読書を続け、市野江は山下の相手をするわけでもなく、黙ってテレビを見続けた。
途中で山下が、
「あーッ」
とか、
「この番組つまらんッ」
とテレビに向かっていちいち声を出して騒いだ。僕と市野江に、話し相手になれ、と言っているのだろう。
「おまえわがままなやつやな」
市野江が冷やかな目をして言った。
その後、当然のように白竹と吉世が現れた。
白竹は、
「今日からここがギルガメ部屋やー」
と言って、山下と市野江が見ていたテレビチャンネルを変えた。
「ギルガメ部屋」とは、毎週金曜日の深夜に放送されている「ギルガメッシュNIGHT」というエッチな番組の観賞場所のことだ。白竹の最も好きな番組なのだ。
毎週金曜夜のこの時間帯、白竹はこの番組を見るために部屋長不在の部屋を求めて亡霊のように寮内をさまよっていた。
ギルガメがはじまると、市野江は恥ずかしそうに部屋から出て行った。これから繰り広げられるエロトークに付き合いたくないのだ。
「この胸のでかい子かわいいー」
「ばかか?こっちの方がいいやろうが」
「どっちもだめたい。おまえらデブキラーやな」
3人は身を乗り出してテレビ画面を見ながら、イキイキとした会話をはじめた。
ギルガメが終わると、白竹は「朝まで生テレビ!」にチャンネルを変えた。
一体いつまで居座り続ける気だろうか?
それでも部屋長不在で気兼ねなくすごせる部屋は、いつもより数段居心地がよかった。
もし僕が普通の大学生のような暮らしをしていたら、山下や白竹の行動に怒りまくっていたはずだ。そんな気持ちにならないのは環境のせいだろう。
今、僕は寮で最も運がいい1年生なのだ。この部屋を1年生の梁山泊にしてやろう、くらいの気持ちの余裕があった。
しかし、安息の日々はそう長くは続かなかった。
2週間ほど経ったある日のことだ。
白城さんが大事にしていた香炉のフタが冷蔵庫の上から落ちて無残に割れていたのだ。朝、大学に行くときに気付いた。
これはとても恐ろしいことだった。
白城さんは部屋の格調に異常なほどこだわる人なのだ。
この部屋にもともと備え付けられていたキャスター式イスは葬り去られ、アンティーク調の木製イスに勝手に取り変えられていた。
寮では禁止されている観葉植物まで置いている。白城さんの留守中、枯らさないように僕が水やりをしなければならない。
コーヒーにもこだわりがある。学芸大学東口商店街の脇道にあるお気に入りの店でコーヒー豆を購入する。その店の豆で挽いたものしか飲まないのだ。
とにかく白城さんは文化的雰囲気を異常なほど大事にしている。
そうした性格は部屋っ子の僕にまで影響が及んでいた。僕の分のイスも白城さんと同じものになっていたし、白城さんがコーヒーを煎れるときは僕も付き合う決まりだ。しかも、ブラックで飲むことまで義務付けられていた。
また、白城さんは僕が静かに読書している限りは機嫌が良いが、腕立て伏せでもはじめようものなら一気に不機嫌になる。
お香はそうした白城さんの必須アイテムなのだ。週に1回はお香を焚いて、その香りに満足げな表情を浮かべていた。こんな寮生、他にはいない。
その白城さんが、大事にしている香炉のフタが割れたと知ったらどんな顔をするだろうか?
白城さんは慶應文学部。一見すると非力で表面的には物静か。争いとは無縁に見える彼だが、激情に駆られると何をするのかわからない武力を超越した怖さがあった。
僕らが入寮する前、当時の4年生と対立し、その4年生が所有する車の上に屋上からブロックを投げ落としたことがあるらしい。相当な武闘派だと言える。
これまでいろんなやつが部屋に出入りしていた。誰が割ったのか見当もつかない。もしかしたら気づかないうちに自分で割った可能性もある。
そんなことより、この事実を白城さんにどう報告すべきかがわからない。いっそのこと知らぬふりで通した方がいいだろうか。さまざまな思いが交錯し、考えがまとまらなかった。
「山下が犯人やない?だってあいつが一番多く出入りしよったやん」
「そーやー、山下やー」
吉世と白竹が言った。
確かに山下はほぼ毎日やってきては、僕が寝たあともテレビを見続けることが多かった。
しかし、こいつらの言うことを信じても何の解決にもならない。それに白竹には千円を貸したとき、「借りたっけー?」と借り逃げしようとした前科がある。信用ならない。こんなやつらを相手に探偵ごっこをしている場合ではない。それよりも白城さんがどんな反応をするかが気になる。
「あの人の持ち物やけん、メチャクチャ高いぜ」
「10万円やー」
吉世と白竹もさんざん部屋を利用してきたのに、今では完全に、関係ないね、と部外者を装った。
—こうなったら、こいつらがやったことにしてやろうか—
どうしたらいいのかさんざん迷ったが、正直に報告することにした。
次の週、白城さんが入院する大学病院に行った。
意外にも白城さんはあっさり許してくれた。この人のことを少し誤解していたようだ。
ただ、その償いとしてなのか、その後僕は白城さんから食い物の差し入れが欲しいとか、洋服をクリーニングに出しといてなど、いろいろな用事を仰せつかった。
山下にも意外な行動があった。
白城さんが戻ってくる数日前、僕のためにジュースやウーロン茶を大量に買ってきたのだ。
「勝手に入れとくぜ」
そう言うと、山下は冷蔵庫の中を持ってきた飲み物でいっぱいにした。
「なんや?やっぱりおまえが割った犯人か?」
からかうつもりで言った。
「なん言いよーとや?俺は知らんッ」
山下は少しムッとした顔をした。
「じゃあ、なんでそんな珍しいことするとや?」
「……おれの気持ちたい」
少し照れた表情で言った。
これまで落ちているものを無造作に拾うかのように搾取行為をしてきたやつだが、意外な一面を見ることができた。こいつは十数年後、国政選挙に出馬することになる。そして選挙PRを見た僕が思い出したこいつの一番の善行がこのときのことだった。
その12.下ネタの輪
1年生生活が残り少なくなった日曜日の朝だった。
早く目が覚めたので、僕は白城さんを起こさないように廊下に出た。
寝静まった廊下はいつにも増して解放感があった。すでにほとんどの4年生が寮を去っていたからだろう。
僕は掘り出し物を求め、廊下の各所に設置されている雑誌回収箱を物色してまわった。退寮していった4年生の部屋の中も確認する。
寮生は不要な本を廊下の雑誌回収箱に捨てていく。そして回収前に他の寮生の目にとまればその本は持ち去られる。こうして多くの本が寮内を循環していた。ただ中には、ひたすらエロ本をため込み、血栓のように流れを妨げる部屋もあった。1年前、僕と白竹が案内された仮部屋はそんな部屋だったのだろう。
物色中、
「まーた熱心にエロ本探しよるな」
不意に後ろから声をかけられた。
2年生の芳田さんだった。僕とは部屋がご近所だ。この人はとにかく話を下ネタに結びつけるのが好きだ。
芳田さんは僕に応答する間を与えず、
「言っとくけど寮のエロキングは俺ぜ、おまえには絶対この座を譲らんからな」
と一方的にライバル宣言し、ニカッとしながら去っていった。
アホなやりとりに見えるかもしれないが、こうした類の会話は寮生にとってコミュニケーションの潤滑油になっていた。芳田さんの言葉はそれなりに友好の証なのだと僕は受けとめている。
その後、あちこち見て回ったが、結局、この日の収穫はエロマンガ雑誌1冊だけだった。
電話番室の前を通ったとき、ドアの前のスリッパが目にとまった。
—この時間の電話番は泰治か—
1年間も寮生活していると、そのスリッパが誰のものなのかわかるようになる。
電話番は寮生全員の義務で、1ケ月に1回くらいのペースでまわってくる。1人2時間の決まりだった。
電話番室の広さは4畳半、しかもソファーとテレビがあるので電話さえ鳴らなければなかなか居心地が良い。ただ、電話番自体はみんな敬遠していた。
トントンとドアを叩いて中をのぞいた。
泰治は電話番室にワープロを持ち込み、何やら打ち込み作業をしていた。
ワープロの横には分厚い本が置いてある。この部屋にせっかくあるテレビはついていなかった。
泰治はレポート請負人ということで有名だった。
教科書と課題を書いた紙だけ渡せば、一晩のうちにレポートが仕上がっているという素敵なシステムを考案していた。内容に応じて500円から1000円でやってくれるらしい。噂によると、パンキョーを取りこぼした上級生からの依頼が多かったようだ。今も誰かのレポートをやっているところだろうか。
この1年間、泰治とはマンパチでたまに一緒になることはあったが、長々と会話したことは一度もなかった。
作業中は忙しいし、昼飯休憩で弁当を食ったあとは満腹感でベラベラしゃべる気分にはならないのだ。寮生にしては遠慮がちな性格なのか、泰治の方から積極的に話しかけてくることもなかった。
—たまには話でもしてみるかな—
僕が電話番室に入ると、泰治は少し驚いた顔をした。ただ、迷惑がっているようには見えなかった。
ジリリリリリッ
黒電話が鳴った。
この寮の電話は火災警報器なみにうるさい。僕は、早く取れよ、と泰治に視線を送った。
泰治が受話器を取った。
「はい、福岡県学生寮です」
そう言ったつもりなのだろうが、ボソボソッと低い声で、しかも早口で言うので、そばにいる僕でさえ何て言っているのか聞き取れなかった。電話の向こうからも聞き返され、何度も言い直していた。
電話の対応が終わると泰治は苦笑いした。
「……」
僕は、泰治がいつどこで自慰行為しているのかたずねた。
さっきの芳田さんにならったつもりだ。唐突ではあるが、この寮ではそんなに違和感はないだろう。この質問は部屋っ子にとって永遠の悩みでもある。
泰治は、
「だ、大学のトイレ」
とまじめに答えた。
言ったあと、笑みがこぼれた。
「これやるぜ」
持っていたエロマンガ雑誌を手渡した。
「なんこれ?」
「コットンコミックたい」
表紙にそう書いてある。
「今度大学に持っていけば?」
とからかった。
エロ本がきっかけになったが、その後、泰治が普段どんな本を読むのかまで話が広がっった。
かなりの読書家だということがわかった。分厚い本は植物図鑑だった。作家を目指しているらしく、単なる読書を超えて幅広く知識を身につけようとしているのが伝わってきた。寮生のレポートを請け負っているのも自分の血肉とするためなのかもしれない。
泰治に影響され、少し読書熱がわいてきた。
「泰治が持っとる本で、これは読んでおいた方がいいってのがあったら、今度貸してくれ」
「どんなのがいいと?」
「そうやなー、普段読まん感じの本がいい」
「いつもなん読みよると?」
「フランス書院とかかしら」
最近、雑誌回収箱で女教師ものを拾ったばかりだ。
泰治は何か言いたげな顔をしたが、
「SFとか推理ものとか歴史ものとか読まんと?」
親切にジャンルを挙げてきた。
「その中だったら歴史ものを一番読んどるかもしらんな、横山光輝とか」
「それ、マンガやん」
だんだん泰治が呆れ顔になってきたので、
「じゃあ、とりあえず歴史ものから遠い感じのを頼むぜ」
と言った。
「わかった、考えとく」
僕は電話番室をあとにした。
この会話のことを忘れた頃、泰治が僕のところにやってきた。
「これどう?」
と持ってきた本を僕に見せた。
「なにこれ?」
「あ、アメリカの小説」
グレート・ギャツビーというタイトルだった。
「まったく知らん」
「この本、ライ麦畑でつかまえて、にも出てくるけど」
「それも知らんッ」
とにかく、向こうではとても評価が高い作品らしい。泰治は、「大して長くないから読んでみたら」と言った。僕は、エロ本とひきかえに著名な小説を手にした。
ただ、せっかく持ってきた泰治には悪いが、僕としてはコットンコミックの方がまだ良かった。僕が期待していたのは、もっとライトで今風な本だった。
とはいえ、自分から催促しておいて読まないというのは格好悪い。僕は苦痛に耐えながら読み終え、泰治のところに返しに行った。
「どうやった?」
泰治が聞いてきた。
「おー、今度はもっと楽に読めるの貸してくれ」
自分の感性には合っていなかったのか読み疲れたぜ、と正直に言った。
結局、名作かどうかは読み手次第なのだろう。ラーメンの嗜好と一緒かもしれない。
その後、泰治は僕のところに本を持ってよく遊びに来るようになった。
その13.人生の縮図
入寮してから1年が経ち、ついに僕らは2年生になった。
寮の廊下や道ばたで1年生に出くわすと、
「こんちはッ」
「失礼しまっす」
と大声で挨拶される。ちょっと照れ臭かったが、
「おうッ」
と返していた。
2年生になり、うれしいことがいくつかある。
週1回の掃除当番からは解放されるし、各部屋の電気メーターを調べてまわらなくてもよくなる。夜の11時に廊下の電気を消し忘れて上級生から怒鳴られることもないのだ。
そして、何よりうれしいのが部屋長になることだ。
部屋長とは一国一城の主なのだ。部屋長か、部屋っ子かで寮生活が天と地ほどに違ってくる。
2年生全員が部屋長になれるわけではなかった。席は限られている。白竹や志水は引き続き部屋っ子だった。
2年生というのはそれだけ残酷な現実が生じる学年だった。部屋長になるためには、学生自治の幹事として寮の運営に貢献するか、幹事長に「こいつなら」と認められる必要があった。社会の仕組みに似ているのかもしれない。寮は人生の縮図だ、なんて言う人は多かった。
市野江も部屋っ子が確定し、気を落としていた。部屋割りが発表される直前まで市野江は、
「ぼく、部屋長になる自信あるよ。だって今度の幹事長の水木さんと仲いいもんッ」
と自信満々に語っていた。
市野江の自信家ぶりは相当なもので、つい先日は吉世が初めて買ったというレース前の馬券を見るや、「こんな素人予想、絶対当たらーんッ」と衝動的にその馬券を破るという奇行に出て吉世を激怒させていた。そんな市野江の部屋長予想はあっけなく外れ、もう1年間、部屋っ子として居場所のない生活を強いられるのだ。ショックの大きさは十分に伝わってきた。
僕は部屋長になった喜びをかみしめ、今後の寮生活に思いを馳せていた。真の大学生活がこれから始まる気分だった。見慣れたはずの寮の景色さえも今は違って見える。
僕の部屋っ子になるのは東京農大のやつだった。部屋割りが決まるとすぐに僕のところに挨拶にきた。
「今度部屋っ子になる小早河でーす」
小早河は小太りで、やや甲高い声質をしていて、語尾のトーンが上がる特徴的なしゃべり方だった。だがハキハキとして気持ちいい感じのやつだった。
部屋替えは次の日曜日だった。
この日は1年間で最も寮が活気づく日だ。
誰か1人でも部屋の引っ越しをサボると、他の寮生全員の引っ越しに影響を与えかねない。この日ばかりは普段から留守にしがちな寮生も外出を控えていた。ただ、多くの場合、部屋替えは近くの部屋同士で行われるため、ひと部屋かふた部屋程度移動するだけでよい。たまに遠方に移る寮生は、他の寮生と荷物でごったがえす廊下や階段をなんとか移動しなければならないので大変だった。
僕は隣の部屋に移るだけでよかった。3年生や4年生にもなれば荷物の量は相当なものになっていたが、僕ら2年生はこれまで部屋っ子だったということもあって大したことはなかった。布団と服とダンボール3箱程度の荷物で引っ越しは終わった。
僕と小早河は窓ふきと床の雑巾がけをし、今度の部屋をピカピカにした。
「ふう、よーし、これで引っ越し完了」
小早河に作業終了を告げた。
昼間の強い日差しが床に反射し、部屋全体がきらめいた。
「おれの部屋やー」
思わず白竹の口調をマネした。
寮の近くにある弁当屋で昼飯を買い、小早河と2人で引っ越しを祝った。
僕らが弁当を食っていると吉世があらわれた。
「おれの部屋っ子、どっかいったごたー」
重要な部屋替えの日だというのに、どこにも姿が見当たらないと言った。結局、そいつの荷物を吉世が運ぶ羽目になったらしい。吉世の部屋っ子はハズレのようだ。
吉世は「はあー、疲れた」と汚い服で真っ白いシーツに変えたばかりの僕の布団に寝転がった。
吉世がやってきてから、小早河が恐縮してずっと正座していた。
それに気づいた吉世はすくっと身を起こすと、小早河を見おろしながら、
「あー、きみぃ、足くずして楽にしていいよッ」
わざと先輩風を吹かす調子で言った。喜びにあふれた威張り方だった。1年前とは状況がまるで違う。
「今日のブロックコンパ、どうするー?」
吉世の言葉でハッとなった。
寮生の部屋は2階から4階にかけて3つのフロアにあり、細長い建物をちょうど真ん中で区切って玄関口のある方を旧館、残り半分を新館と呼んでいる。
2階の旧館エリアのことを略して2旧(にきゅう)
2階の新館エリアを2新(にしん)
3階の旧館エリアを3旧(さんきゅう)
3階の新館エリアを3新(さんしん)
4階の旧館エリアを4旧(よんきゅう)
4階の新館エリアを4新(よんしん)
これらのエリアのことを「ブロック」と言うのだ。
新館、旧館に関しては、旧館が少しばかり早く建てられたからそう呼ぶ、とか、学生運動の時代には旧館、新館で対立していた、とか、真偽がはっきりしない噂が多かった。ただ、今、ときは平成なのだ。僕らにとってそんな噂はどうでもよかった。
いつ頃からこんな制度があるのか知らないが、この寮ではイベントごとは各フロアの旧館、新館単位で活動するのが原則になっている。町内会のような感じだろうか。
スポーツ大会は常にブロック対抗戦だし、そのあとにはブロックコンパと呼ばれるブロック別飲み会がある。本日は引っ越し恒例のブロックコンパの日でもあるのだ。
現在、僕は3新、吉世は4新である。
飲み会は2年生の部屋でやるのが決まりだ。吉世のブロックは吉世の部屋でやるらしい。僕のブロックは僕の部屋でやることになっている。部屋長になったといっても、2年生はまだまだ下働きがつづくのだ。寮の上下関係において1年生は家畜、2年生は奴隷、などと呼ばれていた。
1年生のゲロの世話は2年生の役目だった。ゲロの処理だけでなく、1年生には吐き方を身につけさせなくてはならない。それは1年生自身の身を守るためのものでもある。こんな寮でも酒で死人がでないのは、みんな自分の限界をだいたい把握していて、さらにアルコールを排出する術を身につけているからなのだ。おそらく社会に出てからも役立つのだろう。つぶれたやつを寝かすときには万が一にもゲロで窒息しないよう、必ず横向きで寝かせることが徹底されている。
だから今晩、この部屋がどれだけ汚されるか想像すると気が重くなった。とりあえず全ての荷物を2段ベッドの上段に避難させておくことにした。
夕方5時頃、僕ら3階新館は1年生と2年生でコンパの準備に取りかかった。
まず、1年生に廊下、便所、部屋の床に新聞紙をくまなく敷き詰めさせた。これはゲロ対策である。見渡す限り新聞紙で敷き詰められた光景は寮コンパではおなじみだった。バケツは2個用意した。
次に買い出し。最大のスポンサーである4年生に本日のメニューと予算を伝えて資金をもらい、買い出しを終えた。
一息ついていると、4階新館から吉世たちがもめている声が聞こえてきた。
「いちのえッ、しらたけッ、お前らちゃんと協力しろッ」
「そうたい、もう時間がないやろーがッ」
「なん言いよるとや?おまえらが部屋長なんやけん、おまえらだけで準備しろッ」
「そうやそうやー」
部屋長になった吉世と山下が引き続き部屋っ子の市野江、白竹と言い争っていた。
特に今の市野江は手がつけられない。この様子だと、まだ何の準備もしていないのだろう。
それにしてもこの4人に今日の裏方が務まるのだろうか。今日は準備だけでなく、1年生に礼儀作法を教えたり、コンパの盛り上げ役になったりしなければならないのだ。
僕にはどうしても烏合の衆にしか見えなかった。
少し離れたところで4階新館の1年生がいつ決着するのかと不安そうに見ている。
その光景をさらに離れたところから見て、
—世の中、勉強の出来不出来はたいしたことじゃないのかも—
と思った。
その14.寮内コンパ
3階新館では6時からコンパが始まった。
2段ベッドの下段に3年生と4年生が陣取り、1年生と2年生は床に正座する。1年生を3、4年生の正面に座らせ、僕らは1年生の両端で食い物や酒の補充を行う。
よく見ると脇元が3、4年生から完全な死角となる位置に座っているのに気づいた。脇元はものすごく酒に弱い。1年生のときは便所から離れず、上級生が接近すると便器に顔を寄せてゲロを吐く寸前、という演技をよくやっていた。今日もどうやったらあまり飲まされずにやり過ごせるか知恵を絞っているようだ。
乾杯してから、しばらくは飲み食いしながら歓談が続いた。
そのうち他のブロックから
「自己紹介させていただきまーす」
と叫び声が聞こえてきた。
「向こうのブロック、始まったらしいぜ」
ここからが寮内コンパの本番だった。
1年生はあいさつ回りのときと同じように自己紹介をする。次にイッキ飲みし、それから一芸をやる。ウケなかったらもう1回イッキするのが慣例になっている。一芸はたいてい面白くないので、通常は2度イッキすることになる。
当然これだけは終わらない。
「そろそろ遠征させるか」
遠征、とは他のブロックに行って、自己紹介、イッキ、一芸をやることを意味していた。遠征先では無理難題が待っている。これを知力、体力を駆使して乗り越えていかねばならない。こうしたやりとりを通じて新入寮生はみんなに顔をおぼえられていくのだ。
<4階新館>
僕が吉世たちのコンパ部屋に1年生数人を引き連れて行くと、
「ヒヒーン」
市野江が四つん這いになって叫んでいるところだった。トウカイテイオーのマネだという。市野江が好きな競走馬だ。体を張った芸には敬意を表すが、部屋っ子生活が確定し、自暴自棄になったとしか思えなかった。
僕らがやって来たことで標的が変わった。
どのブロックも遠征者を酒の肴にするのは同じだったが、つぶし方がそれぞれ違う。
このブロックは、みんなで楽しくやろうぜ、という雰囲気を出しつつ飲ませてくる。寮の伝統に保守的な寮生が多い中、このブロックには自由な雰囲気を漂わす4年生が多かった。ただ、それは決して遠征者にやさしいことを意味しているわけではなかった。難癖をつけては遠征者を面白おかしくいじり倒し、何度も飲ます方向に持ってくる。
今日の餌食は1年生のはずだが、その影響は僕にまで及んだ。
小早河の一芸がおもしろくないと文句がでた。
「こいつの芸がつまらんのは部屋長の教育がなっとらんからやないか?」
「あれー?こいつの部屋長ってだれやったっけ?」
とわざとらしい声があがった。
結局、僕もイッキすることになった……
<3階旧館>
このブロックは体育会系色がひときわ強く、飲みに関しても寮で一番激しいと言われていた。遠征者には決まってさつま白波が振る舞われる。
3階旧館に1年生を引き連れて行くと、
「まあ飲め」
と4年生の浅倉さんがさつま白波をなみなみと注いできた。それを飲み干すと追加の白波が注がれた。
部屋の後ろの方にはまだ開けられていない一升ビンが数本、キラリと光っている。
「おい、腕相撲やろうぜ」
今度は4年生の佐太さんが言ってきた。
この人はニコニコしながら重りのついたバーベルを鉄アレイ代わりにする力自慢だ。勝負になりそうな寮生を見つけては対決を迫る趣味がある。今回僕が連れてきた1年生にめぼしいのがいなかったようで、僕が相手として選ばれた。
浅倉さんを審判に、勝負がはじまった……
<3階新館>
会場である僕の部屋に戻ると、
「飲んでいるか?」
1年生が全員出払っていたため、白城さんは僕にウイスキーを注いできた。
上級生が酒を注ごうとする動作に入ると、下級生はコップの酒を飲み干さなくてはならない。
ただ、白城さんが注いでくるペースがあまりにも早かったので、僕はコップに少し残ったのをごまかし気味にお酌を受けようとした。そろそろ限界だった。
すると、
「おまえなあー…」
と白城さんのお叱りが始まった。
酔いで白城さんの説教が半分他人事に聞こえてきた……
この日のコンパが終わりに近づいていた。
説教が終わり、僕は遠征先に散らばった連中を呼び戻しに廊下に出た。
すでに11時を過ぎており、廊下の電気は消され暗かった。
—ギリギリ乗り切ったかな—
あとは汚された自分の部屋をきれいにして安らかに眠りたい。
4階から順番に確認していった。ほとんどのブロックがすでに解散していた。
最後に2階旧館にやってきた。
<2階旧館>
ワーッ
寮が寝静まろうとする中、下品な声が聞こえてきた。
ドアの前の散らかったスリッパから各ブロックの残党が集結しているのだとわかった。
僕は扉を開けた。命運を分ける扉だった。
「ああッ?なんが締めや?まだまだこれからたいッ」
後悔したが遅かった。
日本酒をイッキした直後、意識が薄れていった……
気がつくと朝になっていた。
僕は、自分の部屋で誰のものかもわからない毛布にくるまれていた。部屋はビール臭が立ちこめ、ちらかり放題のままだった。
何かやらかした
容易に想像がついた。
全身あざだらけで身体中痛い。足の裏にはとがった木片が深くささっていた。ゆっくり抜いたが、ピュッと血がふき出してきた。二日酔いもひどかった。
ちょうど館内放送で僕の名が呼ばれた。
「はーい」
廊下に向かって返事した。
すると、再び放送で、
「今すぐ降りてこーいッ」
強い口調だった。
待っていたのは寮監のお叱りだった。
その15.寮監の話
館内放送を受けて下に降りると、玄関口のところで寮監が待ち構えていた。
「やっと来たか。まあ、入れ」
と中に通された。この寮に来て初めて寮監部屋に入った。通されたのは畳敷き6畳間だった。奥にも、もうひと部屋見えた。
寮監はここで夫婦2人暮らしをしていたらしいが、数年前に奥さんを亡くし、今は一人だった。寮監について僕が知っているのはこの程度だった。
その他には、この歳にして五反田までピンサロ通いしているという噂があったくらいだ。
よく考えたら、寮監がこの寮で一番謎な人物かもしれない。
寮監の寮生に接する態度は学年によって違う印象があった。
基本的に1年生に対しては厳しさにあふれた接し方が多い。朝めしを欠食する寮生は多かったが、欠食分の食費を払い戻してもらう際、「ちゃんと起きてめし食えッ」と1年生だと必ず寮監から小言がある。まあこの程度は当然と言えば当然なのだが、館内放送での電話の呼び出しのときにそれが最もはっきりでる。
寮監が代理で電話をとった場合、その寮生の部屋がある階とそれ以外の階に2回ずつ館内放送で呼び出しをかける。呼ばれた寮生は廊下に出て、「はーい」と返事するのが決まりだ。しかし、1年生の場合に返事がないと、「おるのか、おらんのかはっきりせんかーッ」と不在かもしれない相手に放送でたびたび怒鳴っていた。
こうしたシーンは上の学年になるほど明らかに減っていた。えこひいきというわけではないように感じる。
昨晩の酒で吐き気がおさまらなかった。さらに、木が刺さっていたかかとが痛い。
「二日酔いか?」
と聞かれ、
「はい……」
と答えた。
ここに来る途中、芳野の部屋に立ち寄って昨晩のことを聞いた。
暴れたらしい。それを取り押さえるため、多くの4年生が出動したとのことだ。その話を聞いて体のあざや散らかった部屋に納得がいった。
と同時に、
—今晩からお詫び行脚だな—
気が重くなった。小早河たち1年生に対しても示しがつかない。
「これでも飲め」
寮監は熱いコーヒーを出してきた。かかとにはリバテープを用意してくれた。
「昨日わしが寝とったら、上の方からすごい音がしとったぞ」
「それが覚えてないんです」
「そうか、すごい音だったぞ」
「すみません……」
説教は意外に短かった。
—もう帰っていいのかな—
頭痛に耐えながら、出されたコーヒーをすすっていると、
「確か、きみは理系だったな?」
寮監が尋ねてきた。はい、と答えた。
これは単なる話のきっかけに過ぎないことがあとでわかった。
理系、と聞いて「じゃあ将来ノーベル賞でもとるつもりか?」と適当に話をふってきたあと、すぐに寮監自身のことに変わっていった。
寮監の若かりし頃の話が始まった。
「わしは遊び人やったけんねー」
放蕩癖があって、30歳くらいまで親のスネをかじって派手に遊んでいたことを語った。ピンサロ通いの噂を聞いたときは「またそんな噂か」と思っていたが、今の寮監の話と符号する気がした。
若かりし寮監は、更生のため強制的に政治家秘書にさせられたそうである。
—政治家秘書ってそんなに簡単になれるものなのか—
不思議に思ったが、それ以上に
—この話、いつ頃終わるのかな?—
そっちの方が気になった。一応、学校もある。
しかし、政治家秘書にさせられた、という話までが前振りに過ぎなかった。
それから政治問題に話が移り、寮監にエンジンがかかった。
「このままだと、きみらが年とった頃には年金制度は破たんしとるぞ」
と、年金問題を切り口にして与党批判を繰り広げた。
寮監が大の自民党嫌いだということだけはわかった。批判するたびに元気が増していくように見えた。
寮監はタバコを吸いながら話をし、話に夢中になるとタバコを指に挟んだまま、ほぼ燃え尽きるまで吸うのを忘れていた。一定のタイミングで灰がぽとりと畳に落ちた。
途中で外から誰かがやってきた。
寮監は、
「どうせわしは食わんからきみが食え」
と、もらい物のお菓子を用意してから訪問者の対応にむかった。
訪問者は寮生によって屋上に立てられた無数のアンテナを見てやってきたらしい。受信料がどうのこうのという声が聞こえてきた。
「わしゃ知らーんッ」
一喝して男を追い払うと、「待たせたな」と話が再開した。
年金制度に関して寮監は、日本も北欧的な制度を導入すべきと方向性を示した。批判だけでなく、解決案まで示すあたりは確かに政治に関わっていたっぽいな、と思った。ただ、単純計算で40年後、寮監には確実にお迎えが来ている先の話だ。
実感が湧かない遠い未来の問題と二日酔いのためボーッとしていると、いつの間にか国外に話が飛んでいた。
北朝鮮という、なんともマニアックな国の政治体制についてだった。人生を通じても縁がなさそうな国に、なぜ寮監は注目できるのかわからなかった。
寮監はときどき、「独裁者の名前、忘れてしもた。あー、何だったかな?」などと僕に問いかけてきた。
僕がつまらなさそうな顔をしているように見えたらしく、一方的な聞き役になるのを防ごうとしているようだった。
それにしても、この小さな一室で70歳の老人が政治や世界情勢について熱弁するのが奇妙に感じられた。野心とか世間に対する関心は、年を取るとしだいに薄れていくものだと思っていたけど違うのかもしれない。
最後が寮監の将来の夢だった。
寮監を辞めたら、北方領土に渡って王国を築くつもりだと締めくくった。
年金問題や北朝鮮問題など、僕らの寮生時代に寮監が熱く語っていたことは全て、その後メディアに大きく取り上げられていくことになる。寮監のセンスが確かだったと実感するのは、まだずっと後のことである。
—新聞でもとろうかな—
このときはなんとなくそう思った程度だった。
「そろそろ学校行かなくていいのか?」
やっと解放されたが、すでに授業には間に合わない時間になっていた。
この日を境に、僕は寮生活において寮監からの扱いが少し良くなったように感じた。
その16.恋のメロディー
2年生になり1か月が経った。
僕はマンパチで貯めた金でテレビ、CDコンポ、スーパーファミコンを買った。さらに他の寮生が持っている音楽をダビングしまくり、流行りの曲は一通りそろえた。
また、部屋っ子の小早河はパチンコの戦利品に最新音楽CDをよく持ち帰ってくる。ファンなのか、ZARDのCDが多かった。
未知の洋楽しかかからなかった白城さんとの相部屋時代が今でははるか昔のようだ。
自分の居場所がある
このありがたみを理解できる大学生がどれだけいるだろうか。
その夜、僕は小早河とマリオカートで遊んでいた。これも大学生活のおくれを取り戻す活動の一環だと思っている。
途中、
「う、う、う」
陽気なゲーム音に交じって、うめき声のようなものが遠くから聞こえてきた。
その声はだんだんこっちに近づいてきた。
うめき声が一瞬止んだと思ったら、バンッ、とドアが開いた。
「あうー」
白竹だった。
「酒っていいねぇー」
バタバタとした足取りで部屋に入ってくると、進路上にあったスーパーファミコンを蹴飛ばし、僕のベッドに上がり込んだ。
白竹の足からは酢のような鼻をつくにおいが漂ってきた。
こいつは酒に酔うほど足の裏が臭くなる体質だ。このにおいからすると、相当酔っているようだ。
このように白竹が僕の部屋にやってくるのは珍しいことではなかった。というより毎日何回もやってくる。2年生のうち半数は引き続き部屋っ子生活、そいつらには学年が上がった今も自分の居場所がないのだ。そのため2年生部屋っ子は同期の部屋を自分の居場所にしていた。
小早河がひっくり返ったスーパーファミコンを元通りにしていた。
僕らが白竹を無視してゲームの続きをやろうとすると、
「あんたも飲みぃーよー」
臭い足で僕の背中をつついてきた。
「どうした酔っ払い、飲み足らんのか?」
「酒はいいねぇー」
「なんがいいとや?」
「飲めばすべて忘れられるよー」
「……」
白竹は嫌なことがあったとき、お菓子を食べ、その甘さに溺れて現実逃避することが多かった。ただ、それはバイトで店長に怒鳴られた、とか麻雀に負けたという程度の話だった。酒に走るのはこれが初めてだと思った。
「何かあったとや?」
「……」
返事がなかったので振り返った。赤くなった顔をよく見ると、泣いているようだった。
2年生になってから、白竹は部屋っ子生活だというのに、とてもイキイキとしていた。
つい最近は“喫煙友の会”なる奇妙な組織を結成し、会員募集のビラを風呂場の入口の壁に貼っていた。「この紙何やーッ」とビラはすぐに破り捨てられたが、大学生活を謳歌しようとする白竹のエネルギーだけは感じられた。
「あんた充実しとるねー?」これは最近、白竹が僕によく言うセリフだ。今日の白竹はこれと関係があるのかもしれない。
理由はすぐに判明した。
「チヨコちゃーんッ」
白竹が叫んだ。
「はあ?」
同じ大学の子だと言い、多くを語ろうとはしなかった。
ふられたらしい。やけ酒だった。
—からかってみるかな—
いきなり乱入してきてゲームを蹴飛ばしてくるやつにはそれがちょうど良い対応だと思う。
「チヨコちゃんってどんな子や?」
「……」
何も言おうとしない。
雰囲気を出そうと、僕はカセットテープを収納しているテレビボードの引き出しを開け、今の白竹に合いそうな曲を探した。
B‘zの「恋心」をかけた。
「相談にのるぜ、冷やかさんぜ」
「……」
白竹はのってこなかった。
じれったくなったので、ヘッドロックをかけながら、早く言え、と言った。
「ううう」
吐きそうになった。
あわてて技を解くと、白竹は逃げるように部屋から出て行った。
あいつ、一体どうして欲しかったんだ?
「ZARDの、負けないで、をかけた方が良かったと思いまーす」
小早河が言った。
その後、白竹は僕の部屋に戻ってこなかった。
それからしばらくすると、2部屋隣りの芳野がやってきた。
「白竹をどうにかしてくれッ」
疲れた声で言った。
僕の部屋を出ていったあと、自分の部屋には戻らず、芳野の部屋に転がり込んだらしい。どんなに酔っぱらっていても部屋っ子として自分の部屋に戻るよりは誰か同期の部屋の方がいいのだろう。失恋の件は話していないようだった。
芳野の部屋に行くと、僕の部屋にやってきたときと同じように芳野のベッドに寝そべっていた。
「おまえも酒のみぃーよー」
今度は芳野の部屋っ子の渡鍋にからんでいた。ロン毛茶髪で今風ヤンキーのような渡鍋ではあるが寮の掟には従順、正座したまま苦笑いしていた。
このままだと白竹は明日の朝までこの部屋を占領し続けそうだ。芳野もそれを恐れているらしい。
「添い寝してやれば?」
芳野は渋い顔をした。
芳野と、白竹の対応をどうするか話していると、いびきが聞こえてきた。
「おい白竹、自分の部屋に戻れ」
「ガ、グググー」
もはや聞いていない。
芳野が、
「早くこいつを連れ出してくれ」
と言った。
完全に僕を白竹の保護者扱いだった。
まあ、白竹がこの部屋にやってきた原因は僕にもある。
僕は、眠り続ける白竹の両足を脇にかかえて廊下に引きずり出した。途中の段差の衝撃でも白竹は起きなかった。
僕は仰向けの白竹を引きずりつづけた。
白竹は眠りながらも足をばたつかせて抵抗した。
面倒でしょうがなかった。
ふと、突然空から降ってきてテコでも動かないスカイドンというメガトン怪獣を思い出した。特段悪さはしないが、あまりの重さに、その場に居座り続けるだけでみんなが迷惑するという話だ。白竹をこの迷惑怪獣に重ね合わせた。ちなみに白竹は90キロ。まずまず重い。
暗くなった廊下、白竹を引きずりながら僕の頭の中に流れてくる音楽はB‘zでもZARDでもなく、ウルトラマンだった。
その17.偽善?活動
僕ら寮生は食堂に集合していた。
食堂は寮内で最も広い空間であり、さまざまな行事がここで行われる。この日は、募金活動の応援要請が来るということで、主に1、2年生が集められていた。
「今度の日曜日、渋谷駅前で募金活動を行います。ご協力いただけないでしょうか?」
やってきたのは、僕らとあまり年齢が変わらない感じの兄ちゃんだった。
早稲田の4年生だと自己紹介があった。
僕らが協力を要請されているのは、親を亡くした子供のための募金活動だった。
この兄ちゃんは、自分もこの募金で救われた1人だ、と体験を語り、日時と場所を告げて去っていった。
上からは、
「1、2年は全員参加ぜ」
と命令が下っていた。
しかしこの行事、正直僕は面倒くさいな、と思った。もちろん真面目な心構えで参加する寮生もいたが、僕の見る限り、こうした活動に熱心な寮生はそう多くないように思える。
志水は、
「集めた金は本当に役に立ちよると?」
いぶかしげな表情で言った。誰目線だろうか?
当日、JR渋谷駅南口改札前が待ち合わせ場所だった。
僕が着いたときにはボランティアがかなり来ていた。女子高生、女子大生が結構多いのが印象的だった。
最近、チーマーと呼ばれる不良集団が増殖して渋谷の治安を悪化させていると聞く。それとは逆の人間も結構いるんだな、と思った。
先に着いていた寮生のかたまりを見つけ、そこに加わった。
時間になると、先日寮に勧誘に来ていた兄ちゃんがあらわれ、みんなの前で説明をはじめた。
渋谷駅周辺で募金箱を持って道行く人々にビラを配りながら募金を呼びかける。それが本日の活動だった。
前から順番にビラが手渡しで行き渡っていく。
そのとき、
「こんなのしたくないッ」
志水が叫んだ。
「いやだッ」と、まわってきたビラを受け取ろうとしなかった。
志水の性格からすると、募金箱を持ってビラを配る姿が恥ずかしいものに感じられたのだろう。部屋っ子生活のうっぷんも多少はあるかもしれない。
志水が両手を後ろにまわし、意地でも受け取ろうとしないので、前にいた1年生がビラを持ったまま困った顔をしていた。他のボランティアも何事かと見ている。
—ここは何か言うべきか……—
すると、その様子に見かねた打田が志水に近寄っていった。
「そんなにいやなら参加する必要なんかないよ」
ピシャリと言った。
それは、募金活動に多少面倒くさい気持ちがあった僕にとってもドキッとする言葉だった。
打田は高校のときは強豪野球部の主将、寮では1年生のときから幹事をやっている。僕らの同期では将来の幹事長候補最右翼なのだ。
今回ばかりは志水にとって相手が悪すぎる。
さすがに志水も言い返さなかった。
しかし、志水は黙ってその場から去っていった。
あと味の悪さがあった。
募金活動は3人一組でやるということで適当に組が決められていった。
女子大生と組んで募金をやるやつもでてきた。
—志水も残ってやっていれば、美少年を発揮するチャンスだったかもしれないのに—
僕は吉世の部屋っ子の松元、山下の部屋っ子の窪田と組むことになった。
松元は身長180cmをかるく超え、体重は100キロ級、プロレスラー体型をしていて性格はいい加減だ。松元は冷蔵庫の中のものを勝手に食い、それを咎めても土下座さえすれば許されると思っている最悪なやつだ、と吉世がよく愚痴っている。
窪田はオタッキーな風貌で極度に潔癖症なやつだ。山下がいつも部屋を散らかしっぱなしなのが我慢できず、山下の留守中を狙っては掃除をするらしい。それだけならいいが、山下の提出前の課題までためらいなく捨ててしまい、山下を激怒させていた。
どっちも部屋っ子にはしたくないタイプだ。
—こいつらと一緒かよ—
そう感じる自分に、やはり志水のことをとやかくは言えないな、と思った。
「どこで集めますか?」
松元と窪田が聞いてきた。僕が先導するものと思っているようだ。
こいつらは1年生で僕は2年生だから当然ではある。
僕は少し考えて、
「歩道橋の上で集めるぜ」
と言った。
渋谷の歩道橋は通行人が多いし、路上でやるより通路幅が狭くて人に接近しやすい。募金を呼びかけるには効率的だと思った。それに、歩道橋の上で募金活動なんて見たことがない。他の組と競合することもなさそうだ。どうせやるなら一番多く金を集めようと思った。目標は1人1万円、合計3万円だと松元と窪田に言った。
プロレスラーとオタッキーを両脇にしばらく苦戦が続いたが、募金してくれそうな歩行者がだんだんわかってきた。
高齢者夫婦はかなりの確率で募金してくれる。また、若いカップルだと男の方が格好つけて募金するという傾向を見出した。
炎天下の中、僕らは2時間活動し、合計で約2千円集めた。
久々に声がガラガラになった。
時間になり集合場所に戻った。
すると、1年生の島が何やらしきりに悔しがっていた。
わけを聞いてみた。
島が募金の呼びかけをしているところに変な爺さんがやってきて、
「人から金取ろうとするんじゃないよ。自分で稼いで困っているやつらのために払えよ」
と言ってきたそうなのだ。
募金活動の大半がその爺さんの対応になってしまったらしい。
島は、その爺さんのイチャモンに反論することができなかったのが悔しい、と言った。
とんだ災難だったが、その爺さんの言っていることにも一理あるのかも、と思った。
僕と松元、窪田の3人が2時間かけて集めたのは2千円。はっきりいってマンパチのバイト代をはるかに下回る。それでも僕ら3人が今回集めた金は他の組よりも多かった。僕らが普通にバイトをやり、それを寄付した方が金は多く集まることが実証されてしまった。もし街頭での活動に意味を見出すとしたら、金持ちの高額寄付くらいか。渋谷でやるよりも田園調布あたりでやった方が良いかもしれない。
今回の募金活動は、寮生のさまざまな思いが入り交じりつつ幕を閉じていった。
その後、僕は募金活動に参加することはなかった。
それから2年後のことだ。
同期の来栖が、
「1、2年は全員参加ぜ」
寮の食堂で命令していた。
それを見た泰治が、
「あいつ、2年のときおれと一緒にサボったくせに」
ボソッと僕に言った。
その18.ちょっとの差が大きな差
「誕生会してやるぜ」
芳野が言った。
もうすぐ僕と吉世の誕生日なのだ(偶然にも同じ誕生日だった)。誕生会なんて習慣がこの寮にあるわけではなかった。この時期は大した寮行事もなかったため、何かにかこつけてみんなで飲みたいのだろう。
1次会は僕の部屋でやり、2次会は学芸大学駅近くのカラオケボックスでやるという計画だった。平日にやろうが確実に人が集まるし、門限がないこの寮では時間を気にする必要もない。バイトで1次会に参加できない寮生は2次会から参加する予定になっていた。僕と吉世にはタダという特典があり、このイベントを拒む理由はまったくなかった。
当日、僕が大学から帰ってくると、芳野が洗面所で魚を3枚におろしているところだった。
—祝ってくれるのはうれしいが、こいつ、将来大丈夫だろうか?—
僕は芳野が大学に行く姿を見たことがなかった。俗世間との関わりを断つかのように、日中かなりの確率で寮にいる。
しかし人生とはわからない。その後、芳野は弁護士になった。
6時にはだいたいそろった。
僕のベッドを誕生席にし、他の連中は床に腰を落として僕と吉世を囲んだ。
日頃から僕の部屋によく来るやつらを中心に10人ほど集まった。白竹はバイトでいなかった。
誕生席とみんなの間に置かれた小さな折り畳み式テーブルには料理と酒が並んだ。乾杯し、飲み食いが始まった。
吉世がお得意のトークで盛り上げた。
吉世は泰治に、
「2次会のカラオケで早く泰治の美声を聞きたーい」
と含み笑いしながら言った。泰治がひどい音痴だとわかった上で言っている。
さらに市野江に対して、
「おまえは3高のうち、すでに高学歴と高身長を備えとるから社会人になったらモテモテになれるぜー」
と容赦なく翻弄した。
こうして吉世はこの場に集まった一人一人にスポットを当てていった。
それは吉世なりに誕生会のお返しをしているように感じた。それにしても、途切れることがなく次から次に話が出てくるこいつのトーク力はやはりすごいと思った。
ときどき、ワーッ、と爆笑した。
僕の部屋の前の大量のスリッパを見て近所の3、4年生が顔をだしたが、理由を話すと、「ああそうか、楽しんでくれ」と去っていった。日頃の近所づきあいの成果である。横やりがはいる心配はなかった。
—平和だなあ—
このときはそう思っていた。
「おまえらなんしよーとやッ?」
4年生の鷹田さんだった。
僕らが1年生だった頃の白竹の部屋長だ。
静かにしろ、と言いにきたのだろうか?階も違うし、部屋はかなり離れているはずだが。
そういうわけではなかった。近くを通ったら吉世のトークでちょうど爆笑が聞こえてきたというだけだった。
何か嫌な予感がした。
「今、誕生会をやっているところです」
芳野が言った。
僕と吉世が同じ誕生日なので、ダブルで祝っているところだとテーブルの料理と酒を指して説明した。
「そーかそーか」
ジロジロと見ている。
「じゃあ、おれも参加するか」
エエーッ?
鷹田さんが部屋に入ってきた。
バタンッ
ドアの音が部屋に響いた。
予感が的中した。
この人は白竹の元部屋長だが、僕とはこれまでは疎遠な関係できていた。マンパチ、風呂、食堂、屋上の筋トレエリア、どのシーンをとっても顔を合わせた記憶がない。接点がない上級生とは何の話題もなくやりづらい。
鷹田さんは誕生席である僕のベッドに深々と腰をかけた。そしてテーブルにあったビール瓶を手に取り、
「おめでとさーん」
と上にかかげた。再度乾杯となった。
静まり返った雰囲気に、鷹田さんは、
「おまえら、黙っとらんでなんか話でもしろやん」
と言った。
すかさず吉世が、
「去年、白竹とはどうだったんですか?」
部屋っ子だった白竹との相部屋生活のことを聞いた。
「そんな話はどうでもいいったい」
一蹴されて終わった。
歓迎ムードでないと気づいたのか、鷹田さんは、
「おいッ、嶋田とか他のやつらをもっとここに呼んでこーい」
自分と親しい寮生をこの部屋に集結させようとした。なぜだろう、この部屋から立ち去るという選択肢は浮かんでこないようだ。
「自分、このあと用事があるんで、これで失礼します」
1人、2人と僕の部屋から去っていった。鷹田さんの命令で他の寮生を呼びに行くついでにこれを言う。
逃げるなーッ
吉世まで、
「そろそろ銀座アスターの遅番があるんで」
と明らかな嘘をついていなくなっていた。
いつの間にか半数以上があまり接点のない3、4年生に入れ替わっていた。僕は誕生席で彼らに囲まれていた。
時計はまだ8時をまわったところ。針の速度が急に遅くなる感じがした。
その後、鷹田さんのバイトの話や恋の話になっていった。
「これ、なんの会?」
途中からやってきた嶋田さんが、何でこの部屋でやっているのか、と聞いてきた。
3時間以上が経ち、最後は酔っぱらった鷹田さんが仲間同士で取っ組み合いを始め、バタバタと場外乱闘的に部屋から出て行った。
嵐がすぎ去った。
今日、爆笑のタイミングがあと数秒ずれていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。世界はほんのわずかな差をきっかけにまったく異なる結果になってしまうのだと実感した。ひょっとしたら今日、平穏に誕生会が終わった世界もどこかにあるのかもしれない。その世界では、すでに2次会のカラオケが始まっているのだろう。逆に、1次会がまだ続いている世界もあるのだろうか。
ちらかった部屋を掃除しながら空想した。
2次会のカラオケは0時からやることになった。逃げて行ったやつらとバイトから戻ってきたやつらが合流した。
この世界の吉世は、カラオケで全裸になって歌い、逃げた罪を償うことになった。
その19.3年目の不安
寮生活は3年目に突入していた。
大学生活を折り返したところで、そろそろ将来像をぼんやりとでも描いておいた方がいいのかな、と感じるようになった。
バブル景気の残り香が漂う2年前、当時の4年生は思ったより就職はうまくいっていた。厳しくなってくるぞと言われていたが、1年生だった僕から見て、そこまでの影響は感じなかった。
その次の代の就職は最悪だった。
少なく見ても3人に1人が大学を留年するという目も当てられない状況だった。景気低迷によるものかどうかは定かではないが、この世代はどっぷりと寮生活を謳歌していた印象がある。退寮した今でも寮やマンパチに顔を出す人が珍しくない。
寮では、穏健派の代と武闘派の代が交互に続いている、ということがよく言われている。
ここで言う「穏健」、「武闘」とは、イメージ的なもので深い意味はない。入寮当時は全員武闘派か?という印象があったが、実はそうではないと思っている。伝統や責任からくるもので、本来のものではないだろう。
そして、穏健派の代の就職は良いが、武闘派の代は悪いというのだ。頭の良し悪しはあまり関係がないように感じる。平均化するとどの代も地頭に大して差はないだろう。
結局は、穏健派は一つ上の武闘派を反面教師とし、武闘派は一つ上の押さえつけが弱いので自然と激しくなるといったところか。
僕らが1年生だった頃の4年生は穏健派で、その次の代が武闘派というのはイメージ通りだ。就職の成否もまさにその通りになった。
さらにその次、僕らの一つ上の現4年生は穏健派っぽいイメージがある。就職も無難に乗り越えそうな顔ぶれだ。
そしてその次が僕らの代だ。この法則で行くと僕らの就職はかなりまずいことになってしまう。
「おれらも気をつけた方がいいぜ」
吉世が妙に真面目な声で言った。白竹と泰治もいる。
3人は僕の部屋に遊びにきていた。
「気をつけるって何に?」
「寮に染まると就職できんくなるぜ」
明らかにこの前の4年生を思い浮かべながら言っている。
「寮生活を4年間したってことは採用に有利にならんとー?」
「なるわけないやん」
白竹の問いにすかさず泰治が答えた。
寮生活が有利になるなら、前の4年生の就職があんなに悪いはずがない、と言った。
「おまえらも寮バイト以外のバイトをやったがいいぜ」
吉世はこれまで接客業ばかり、さまざまなバイトを経験していた。今も学芸大学駅東口商店街の喫茶店でバイトをしている。
バイトの面接で落ちたことがない、というのが吉世の自慢だった。
「おれはしゃべりで生きていく」
これは吉世が入寮当時から言っていることだ。営業トークが最大の武器だと考えているらしい。
寮に浸っているとそれが磨かれない、と言う。
—それにしても寮バイト以外のバイトやれって……—
そこに本質はあるのだろうか?
僕は吉世の考えとは真逆の方向に進んでいた。
代表的な寮バイト、マンパチはこれまで100回以上やってきたし、学生自治では今年から打田とともに渉外幹事だ。
「まあ、おまえはしっかり寮に貢献してくれッ」
吉世は、「ふふんッ」と鼻で笑う仕草をした。
「渉外幹事って何やると?」
泰治がボソッと言った。
「ダンパは渉外の仕事やな」
“ダンパ”と聞いて、吉世と白竹が
「ホシヤク行くならおれも連れていけッ」
「おれもおれもー」
と言った。これは寮に染まっているとは言わないのか?と言いたくなった。
ホシヤクの幹事には近々会うことになっている。向こうは2年生を幹事にする習わしなので、僕らの1つ下の学年になる。僕らが1年生のときに出会った代は昨年、幹事をやっていた。
「おまえらなんか連れて行かん」
と僕は強く言った。
「なんで?一生懸命お手伝いしますぜ」
「なんでも命令してよー、手足になって働きますよー」
吉世と白竹が急にした手にでてきた。2人とも手を揉みゴマすりポーズをしている。
この変わり身についていけない泰治が苦笑した。
連れて行かない、と言ったのには理由がある。
僕ら英彦寮に対するホシヤクの評価がかなり低下している、という噂があったのだ。
僕らが1年生のとき、ホシヤクとトラブルを起こし、向こうの怒りをかったやつがいた。それで昨年のダンパは、その代の子たちがダンパにものすごく非協力的だったと聞いている。こんなときの女の団結力はすごいらしい。
その険悪な雰囲気が今年の幹事世代にまで伝わっていなければいいのだが。自分のことしか考えないこいつらを連れて行ったら事態が悪化することだってあり得る。
「じゃあ、チクリョウでもいいぜ」
「おれもおれもー」
こいつらいったい何様のつもりだろうか?
「そんなに手伝いたいならチケットの販売と集金やらせるぜ」
そう言うと、
「さーて、こんなくだらん部屋より、もっと将来性のあるやつの部屋にゴマすりに行こっと」
「こんな部屋、二度とくるかー」
と吉世と白竹がいつもの捨て台詞をはいて僕の部屋から出て行った。
「じゃ、俺も帰ろ」
つられるように泰治も去っていった。
その20.東京弁マスター
ホシヤクの幹事と土曜日の昼過ぎに武蔵小山で会うことになった。
待ち合わせ場所には打田のバイクで向かった。
僕は自転車で行くつもりでいたが、打田が「2人乗りで行こう」と僕の分のヘルメットも用意していた。
それっぽい2人が見えると、ブオンと音を立てて接近し、打田は彼女たちの目の前でピッとバイクを止めた。自転車でノコノコあらわれるよりはかっこいい登場の仕方かもしれなかった。
—こいつ、意外と演出に凝るやつなのか—
寮生の約3割はバイク持ち。今ではあの市野江まで乗っている。
—バイクに乗る寮生は単にこういうのをやりたいだけなんじゃないだろうか—
僕らがフルフェイスのヘルメットを取ると、
「はじめましてー」
向こうの2人があいさつしてきた。
「どこか店に入って話しましょう」
打田が紳士的な感じで言った。僕らは近くにファミレスに入った。
打田はダンパの趣旨や当日のこと、チケット代のことなどをひとつひとつ丁寧に説明していった。
僕はしばらくコーヒーをすすりながら横で打田の話を聞いていた。
話が講習会のことになったとき、
「ワンパターンに寮の食堂でやるんじゃなくて、みんなでカラオケなんかどう?」
と提案した。
講習会とはダンスの講習を意味するものだが有名無実化していた。ダンスそのものに興味があるやつなんてほぼいなかった。そもそも僕が知るダンパは激しい音楽に合わせて全員が上下に飛び跳ねているだけなのだ。昔的な社交ダンス要素はゼロだった。それなら講習会の名前だけ残して今の時代にマッチしたことをやりたい。
カラオケ全盛のこの時代、パーティーにもってこいの店はいくつもあった。準備や片づけをする必要もないし、その分、時間が余れば、盛り上がった者同士で飲みにでも行けばいい。
この件はすでに打田とは話がついていた。
講習会やチケット捌きなどダンパ当日までのことを僕が担当、ダンパ会場の手配や当日の仕切り全般を打田が担当ということになっている。
講習会の件はホシヤクが承諾するかどうかだけが問題だった。
「それ、おもしろいかも」
一人が言った。
「いいですねー、是非それでいきましょうよ」
もう一人の子も賛同し、あっさりと決定した。
今回、ホシヤクは協力的だった。
話がまとまると彼女たちが話題を変えてきた。
「2年前、私たちの一つ上のひとと踊ったんですよね?」
「そうだよ」
「どうでした?」
「どうって?」
「誰と踊ったのかなーって」
「どうだったかなー、忘れちゃった」
今では僕も3年生だ。
寮では相変わらず地元の言葉で話すが、外では東京弁に切り替える、という具合に使い分けている。東京弁で話すとき、人格も東京人になる気がする。
—僕も少しは変わったのかな—
2年前の講習会を思い出し、一人で感慨深くなった。
その後、僕らは日本一長いと言われる武蔵小山のアーケード商店街で会場に使えそうなカラオケ店を探してまわった。
見つけた店の広さから講習会を2回に分けてやることになった。
その夜、1年生の割り振りが僕を悩ませた。
片方にいいのが集中すると、もう片方が確実に盛り下がってしまう。立場が変わった途端、これまでまったく気にしなかったことが自然と浮かんできた。
今年の1年生は今までの寮生にいなかったタイプが多いと感じている。
毎週水曜日の7時になると、「ドラゴンボールZを見せてください」と僕の部屋にやってくるやつがいる。こいつの部屋長がテレビを持っていないのだ。毎週、僕の部屋で正座しながら番組を見ている。1年生のころ、さすがの白竹でも「ギルガメ見せてください」と上級生に懇願したことはなかった。変わったやつだとみていいだろう。
これまで誰も居場所として考えたことがなかった1階の娯楽室を自分たちの部屋代わりに1日中占領しているやつらもいた。そいつらはその奇怪な行動から「ブキミーズ」とあだ名されていた。娯楽室で過ごすことは特にルール違反ということではなかったが、それを苦々しく見る寮生が多かった。
「あいつら毎日娯楽室でなんしよーとや?」
「寮をなめとる」
「電話番室でずっと電話番させろ」
「そんなのより屋上で正座たい」
寮の中で寮とは無関係に生きていこうとするそいつらの姿勢には寮監も、「あれはいかん。どうにかしろ」と苦言を呈していた。近いうちに3年生幹事が喝を入れることになっている。
女はオタッキーを敬遠する傾向にある。講習会では不満につながる偏りが生じないようにしたい。吉世の助言を仰ぐことにした。
吉世は寮で1番女ウケにこだわる男なのだ。また、寮内一の情報通を名乗っていた。風呂や食堂では常に誰かと話をして情報収集を怠らない。1年生事情を考慮した振り分けには役立つだろう。
吉世はおもしろがって話にのってきた。
「おれに相談してきたのは正解ぜ。このおれさまが厳しい目で評価しちゃるたい」
「おまえの目から見てブキミーズってどうや?」
「なん言いよーとや?ダメに決まっとるやろーが」
「じゃあ、1年で誰がかっこいいと思う?」
「泰治の部屋っ子の加井とかいいちゃない?加井と群れてるやつらも割といいと思うぜ」
じゃあ加井一味は分散だな、と思った。
良いのも悪いのも群れさせずにほどよく分ける。それが僕の方針だ。吉世の意見を全面的に取り入れ、方針に基づいて1年生をグループ分けしていった。
1回目の講習会日になった。
僕が集合場所のアーケード入口に着いたときには1年生全員がそろっていた。そして、その中には3年生である山下の姿もあった。
前日、手伝いをさせるはずの2年生が、「すみません。どうしても行けなくなりました」と僕の部屋にあやまりに来た。ちょうどその場に居合わせていた山下が、「そんならおれが手伝う」と言ってきたのだ。
「言っとくけど、おまえのための集まりやないんやからな」
「わかったわかった」
カラオケ店の前にはすでにホシヤクの子たちがそろっていた。
幹事の2人以外に手伝いにきたという2年生も数人いて、こちらと合わせると40人を超えていた。ほぼ全員が学校帰りのような普段着だった。
—やっぱ、ダンパより講習会だな—
ホシヤクを見てしみじみと思った。
講習会とダンパは一連の寮行事だが、日常と非日常のような差を感じる。
ダンパは講習会と違って全員が正装し、女は気合の入った化粧でやってくる。爆音と暗闇のダンスフロアではぎゅうぎゅう詰めになりながら踊り狂う連中の姿が照明の点滅でコマ送りのように映る。
これを楽しいと感じるか、そうでないか。
1年生のとき、僕はツーショット写真で楽しいふりをしたが、そのあとなんだか複雑な気持ちになった。
適応力の問題かもしれない。
だとすると、上京してすぐに東京弁を使わなかったやつはダンパにも違和感を持つやつが多いだろう。
店に入ると、手伝いに来た子たちが部屋の入口のところでテキパキと交通整理し、男女交互になるように席につかせた。
1年生全員が座りきったところで僕は、
「みなさん、こんにちは」
とあいさつし、簡単な自己紹介と講習会の趣旨について説明した。
話をしながら周りを見渡すと、山下が1年生に混じり、僕の話はそっちのけで隣の子に話しかけていた。緊張した1年生の中で一人だけ場慣れした山下の姿はかなり目立っていた。やはり手伝う気はなかったようだ。
乾杯したあとは、用意していたゲームをしたり、歌い手を指名したりと、少しずつ盛り上がっていった。
今回のイベント、まずまず成功かな、と一安心した。
中の雰囲気が落ち着いたところで、僕とホシヤクの2年生は途中から外れて、廊下の休憩スペースで一息つくことにした。山下は出てこなかった。
ホシヤクの1人が、
「専攻って化学なんですね?」
と話しかけてきた。さっきの自己紹介で僕が学科まで言ったのを聞いていたようだ。
「有機化学わかりますー?課題やんなきゃいけないんですけど」
なにー?
薬科大と言えば化学は外せない。今さら気づいたが、僕の専攻は彼女たちの専攻とかなり共通するものがある。ただ、化学が会話の切り口になるのは初めてだった。
入学当初は高い志で授業を受けていたはずだが、いつの間にか出席カードに名前を記入するのが日々のノルマになっていた。手ほどきしてあげたいが、確実に恥をかいてしまう。
保健体育の課題はでてないの?と、下ネタの返しぐらいしか浮かんでこない。
「んー、どうかなー、それよりうちの1年生でいいやついた?」
勉強ネタから遠ざけようとした。
「あんまりよく見てなかったです」
「じゃあ、去年のダンパはどうだったの?うちの今の2年生とか」
「去年って誘われた子がそんなにいなかったんですよ」
他の子たちも、うんうんとうなずいた。
僕のスカウターだと、この中には2年前のダンパのときに人気が高かった子と比べても遜色がない子もいた。
「多分、シャイボーイが多かったんだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。実は今日、うちの2年もくるはずだったんだよ。でもそいつもシャイだから来ないって」
適当に言った。
「うちの大学の男子に比べると硬派が多いんじゃないんですか?」
「ってことは、ホシヤクの男ってそんなに軟派なやつが多いの?」
「女子が多いから男子は大体誰かしら相手がいるって感じですよ」
「マジで?」
「マジです。男子はハーレムです」
「それってかっこいいやつ限定とかなんじゃないの?」
「そんなことはないですよ」
他の子たちも互いの目を合わせたあと、そうだよねーッ、と同時に首を横にカックンと振った。大したことなくてもモテているやつまでいるらしい。
ホシヤクでは男はハーレム、というのは単なる話のネタだと思っていたが、まんざらでもないのかもしれない。現実に今、女に囲まれ、ちょっとしたハーレム気分だ。
—やっぱ、東京弁を使うようになったのがでかいのかな—
地方出身者にとってこれ以上の極意はない、と思う。
意固地に方言を貫いていたら会話のキャッチボールは難しい。どんなに美少年でも例外ではない。白い目で見られようものならそれで終わりなのだ。「郷に入りては郷に従え」ということわざがあるが、その意味の奥深さを理解したような気になった。
会話しながら思いを巡らせていると、1人が、
「今度レポート持ってきていいですか?」
と話を戻してきた。
初めて化学が求められる場面がこんな形でやって来るとは。
ちゃんとやっときゃよかった
でも寮のことに見向きもせず真面目にやっていたらこんな場面は訪れないだろう。
途中で泰治の部屋っ子の加井が部屋から出てトイレに入っていくのが見えた。吉世の評価が高かった1年生だ。それから終了間際になるまで加井はトイレから出てこなかった。
その理由を本人がはっきり言わないので、あとで吉世の情報網を使って確認してみた。どうやら隣に座った子がタイプでなかったからふてくされて逃げていた、ということだった。
さらに加井のような不満を持った1年生がわりといることがわかった。
その原因は山下にあった。
1年生のために催した講習会なのに、山下は隣の子と話してばかりだった。しかも、その山下が独占していた子は、僕が見る限り今年のホシヤク1年生の中でも1、2を争うレベルだった。講習会のあと2人で2次会までやったらしい。
すでに山下がホシヤクで一番かわいい子をものにした、という噂が1年生の間に広まっていた。
「あまえ、大ヒンシュクぜー、ばかやにゃあ」
「……」
さすがの山下も言い返さなかった。
その後、芝浦ゴールドでダンパを開催した。
そこにはノリノリでナンパする山下、吉世、白竹の姿があった。
山下は講習会のことをすっかり忘れているようだし、吉世と白竹も寮行事を存分に満喫しているように見えた。何にでも順応するこいつらを見ていると、こっちの歯車が狂ってきそうになる。
—そう言えばこいつら、上京してすぐに東京弁を使っていたな—
ふと気づいた。
その21.朝が来た
「おい、朝めし行くぜ」
白竹の部屋のドアを開けて言った。4年生になり、これが日課になっていた。
僕の部屋は3階の一番端にあり、食堂に行く途中で必ず白竹の部屋を通ることになる。
ついでに起こしてー、と白竹から頼まれていた。4年生になったので生活態度を見直すらしい。
僕は卒業研究で毎朝8時に寮を出ていた。細胞培養とかサボることができない作業がいくつもあり、毎日時間通りに研究室に行かざるを得なかった。そこに白竹が乗じてきたというわけだ。
その代り、すぐに起きなかった場合は遠慮なくぶん殴って起こしていいことになっている。
この取決めが今では、カチャッ、とドアノブの音がしただけで白竹をベッドから跳ね起こすほど絶大な効果を発揮している。
僕は、
「おまえもやっとまともに起きれるようになったにゃあ」
と白竹をベルが鳴ると条件反射でよだれを垂らすパブロフの犬に見立ててからかった。
白竹は、
「これぞ名付けて、暴力目覚ましやー」
と人を時計扱いして言い返してきた。
天敵がいない最上級生となり、さらに楽しい寮生活になったかといえば、まったくそんな感じはしなかった。ロールプレイングゲームでも最大レベルに近づくとクリア以外にやることがなくなり急につまらなくなる。そんな感じがしている。
振り返ると、あんなに上級生になりたかった1年生のころが懐かしい。今では大学生活、残りの1年を切ったのだ。あとわずかなものに感じて仕方がない。
寮の4年間を人生に置き換えると、すでに僕らは定年退職者の域に達していることになる。
最近は白竹と屋上の給水塔に昇り、夕日に照らされた東京タワーを眺めながら、「もうすぐこの景色も見おさめやなー」と2人でビールを飲んだ。この方角には、僕らが1年生のときには未完成だったレインボーブリッジと恵比寿ガーデンプレイスが盤上の飛車角のような存在感を示していた。時の流れを実感する。
実際に年を取り、こんなふうに人生を振り返るときもやってくるのだろうか。
とはいえ僕らの本当の人生はこれからなのだ。
白竹など同期の半数は就職活動真っ最中だった。残りの多くは進学予定だった。
僕は、なんとなく修士くらいまでは行っとくかなー、という程度の気持ちでいる。就職活動はやっていない。
就職、と言われてもピンとこないし、まったくエンジンがかからない。漠然と社会に埋もれたくないとだけは思っていたが、具体的なビジョンはなかった。それに、今の学科を出たからといって医師や薬剤師のような専門資格が得られるわけでもない。
—ホシヤクにでも行ってた方がよかったのかな—
そう思うこともある。
この前、寮の雑誌回収箱で拾ったブルーバックスに、人間はがんばれば120歳まで生きられる、と書いてあった。それを見て僕は、他のやつらよりがんばって長生きすれば、今は出遅れても結果的に挽回できるんじゃないか、と思った。
こんなふうに現実と妄想の狭間をうろうろしているので、将来に積極的に向き合う就職組を見ていると、早くも出遅れている気がしていた。
まあ、卒業研究がひと段落しそうな8月にはいくつかの大学の研究室に聞き込みに行こうとは考えている。
「どこか決まりそうや?」
そろそろ白竹もどこか一つぐらい決まってよさそうに思う。
「まだわからーん」
地元福岡の企業ばかり10社以上面接を受けていたが、いい感触はないようだ。ただ、地元に戻るのが自分の使命だという気持ちはあるらしい。
「大変やな」
今の僕にとって就職の厳しさは人ごとにしか感じない。
「あんたこそ、この先どうするとー?」
白竹が聞いてきた。
「まだわからーん」
白竹のマネをして答えた。
わからん、というのは、大学院に行ったとしても、やはりその先に何があるのかわからないという心境からだ。
それに最近は大学院進学も簡単ではない。院浪するやつも少なくないのだ。よって大学院に進学できるかさえも今はまだわからない。通常、院試の倍率は2倍弱程度だったが、学部がない大学院大学ともなるとさまざまな大学から受験者が殺到し、大学入試並みの倍率になることが珍しくなかった。
大学院進学でさえこの競争率だから白竹たちの就職戦線はもっと大変なのだろう。
それに就職できたとしても今度は会社で同期の競争が待っていそうだ。結局、団塊ジュニア世代はみんなと同じことをやっていてはだめなのかもしれない。
食堂に入るといつもより上級生テーブルがガヤついていた。
食堂にはテーブルが2列あり、庭側が1年生用のテーブル、反対側が2年生から4年生の共用テーブルになっている。
僕らが食堂に入ってくるのを見た下の連中が、おはようございます、と次々にあいさつしてくる中、
「吉世くんは国一どうやった?」
と言う脇元の声が聞こえた。朝めしを食いながら吉世と話をしている。他の席も同じ話題のようだ。泰治もいた。
—コクイチって……—
昨日、国家公務員一種試験があったらしい。
受験料がタダということで寮生も何人か受けたようだ。そう言えば山下も1か月くらい前から勉強を始め、勉強期間中は部屋に来るな、と言っていた。
「まったくダメやったな」
吉世が味噌汁をすすりながら答えた。というか、そんな試験が昨日あったことを今知った僕からすると、吉世が試験を受けていたこと自体驚きだった。勉強なんかしていなかったはずなのに、よく受かると思って受けたな。吉世は1年生のときに泰治から借りた小説、グレート・ギャツビーを手元に置いたまま今でも読んでいないらしい。泰治が、「吉世は読む読む言ってるけど、読んでる感じがしないし、返す気配もない」と嘆いていた。そんなやつに間違って国家公務員になられても嫌だ。
「脇元はどうやった?」
今度は吉世が脇元に聞いた。脇元まで受けていたのか?どこか適当な大学院に行くと言っていたはずだが。
「あんなに簡単やったら、ちょっとは勉強しとけばよかったー」
試験はできなかったらしいが、めちゃくちゃポジティブに受け止めていた。長生きしそうだ。
その他にも何人か受けていた。
努力の有無や合否は別にして、みんな前進しようとしているのがわかった。ご飯を食器によそいながらテーブル席の話し声に耳を傾けていた。
僕と白竹はご飯、目玉焼き、みそ汁、海苔をのせたトレーを持って吉世たちのそばに行った。
「おー白竹、銀行の面接どうやった?なんかアピールできたか?」
吉世が言った。
白竹は福岡県に本拠地を置く地銀をかたっぱしから受けていた。そのうち一行だけ三次面接まで行ったらしい。
「地元のために一生懸命がんばります、って言ってみたー」
「面接官になんか言われたか?」
「地元のためだったら市役所でも受けてみたらどう、って言われたー」
落ちたな、と思った。脇元と泰治も笑いをかみ殺している。
「泰治はどーするとー?」
今度は白竹が泰治に尋ねた。僕が、
「泰治は小説家やろ」
と泰治の代わりに答えた。執筆活動しているのを知っている。
「ああッ?なん言いよるとや」
泰治の夢を聞いた吉世が急に冷たい目になった。
吉世は現実肌なのだ。この男は雲をつかむような話を徹底的にバカにする。いくら泰治が東大生だからと言っても、それは変わるものではなかった。
吉世からすると、お勉強ができる泰治なら普通にいいところに就職しろ、という気持ちがあるのだろう。さんざんけなした挙句、「悪いこと言わんからやめとけ」と締めくくり、悠々と食堂から出て行った。
吉世が将来性を認めている同期は東大法学部の八広だけだった。確実に弁護士になると見ているようだ。僕らの代で東大生は他にも何人かいたが、既に2度留年しているやつもいて、吉世に言わせると八広以外はダメな東大生らしい。
また、自分のことは差し置いて、「これまでおまえらが勉強しているところをほとんど見たことがない」といつも寮生批判していた。吉世は営業トークで生きていくと言っているが、他人の能力や行動を冷徹に分析する性格からすると、人事的な仕事が向いているのかもしれない。
ぼろくそに言われた泰治だったが、特にこたえている様子はなかった。まあ、この程度でしょげるようならそもそも見込みはないだろう。
泰治は泰治で僕に、
「あんたはマンパチをのれん分けしてもらうのがいいっちゃない?」
と言った。
泰治の言い方は僕を小バカにしたものだったが、僕は一瞬、それは悪くないかも、と思った。もっと寮生を有効活用すればおもしろいことができるかもしれない。
結局、国一に受かったのは山下だけだった。
その山下も上位合格はできなかったらしく、大学院に進学すると言った。吉世が、たった1か月しか勉強しとらんのにぜいたく言うな、と非難した。
僕が見る限り、僕らの代には公務員というおかたい仕事が似合うタイプはいない気がする。結局、誰も公務員にならないので世の中うまい具合にできている。
—まあ、就職するにしても進学するにしても、また楽しい1年生に戻れると考えればいい—
今ではこの英彦寮の1年生時代が楽しかったと思えるのだ。どんな選択をしても最後は同じように思えるはずだ、と僕は自分に言い聞かせた。
その22.思い出したこと
「とっとけよ、餞別だ」
マンパチオヤジが財布から5千円を取り出し、新幹線代の足しにでもしろよ、と僕に手渡した。僕はお礼を言ってトラックの助手席から降りた。プップーと音を鳴らしてトラックが去っていった。
3月31日、寮生活最後のマンパチバイトは3時頃に終わった。
僕は地方の大学院に進学することになっていた。入学式は4月の第2週だというからギリギリまで寮に残ってバイトで金を貯めることにしたのだ。
同期は皆寮を去っていた。出ていくときはどいつもあっさりしたもので、僕の部屋のドアを開けて、「それじゃあな」と言ったあとバタンと閉めて、それで終わりだ。
とうとう僕が寮で最後の4年生になってしまった。
この前は、朝メシ行くぜ、といつもの感じで白竹を誘いに行こうとしてしまった。途中で気づいたが、僕はそのまま白竹の部屋のドアを開けてみた。そこには床に数冊のエロ本が散らばっているだけだった。
—地上に最後まで残った恐竜もこんな感じだったのかな—
とその孤独を想像した。寮内に下の連中は大勢いるが、今の僕にとってはこいつらは哺乳類のようなものだ。
人生、最後まで生き残った者が勝ちだと思っていたが、わからなくなった。
同期の連中の部屋同様、僕の部屋も荷物は全て次の下宿先に配送済みだったので、寝る以外、用をなさない空間になっている。かろうじて貸し出しの布団だけが残っていた。
自分の部屋にいてもとにかくやることがない。壁とにらめっこしていたが、たまりかねて寮監部屋に行った。
僕が顔を出すと、寮監は、
「きみはいつごろまでおるんかね?」
と言った。
明日から4月なのだ。当然の質問だった。続々と新入寮生がやってくる。
「明日まで居ていいですか?」
寂しいことだが、明日から僕の飯は用意されない。どんどん居たたまれなさが膨れ上がってくるのだろう。その前には去りたい。
「まあ部屋はいくらでもあるけん、ゆっくりしていったらよか」
お茶でも飲まんか、と言われたので、しばらく寮監部屋で時間をつぶすことにした。
暗くなると、3年生の武内が、
「そろそろ飲みませんか」
と呼びに来た。
今晩はこいつの部屋で、1年生の伊東も交えて飲むことになっている。
武内は入寮当時、寮生全員が集まって寮の運営を議論する総会で、寮の体制に批判的な発言を繰り返し、多くの上級生に目をつけられていた。高校の先輩にあたる泰治は、「単に生意気なだけならいいけど、あいつは頭が切れて口が立つからいかん」と、ああ言えばこう言う武内の始末の悪さを指摘していた。ただ、なぜか僕とは馬が合った。武内は酒のつまみを手土産に、よく僕の部屋に飲みに来ていた。
伊東は入寮当時、声が小さく、おどおどした話し方をしていたので、すぐに寮をやめるだろうと思っていた。しかし、予想外に寮に馴染み、僕の部屋にやってきては進んで酒の買い出しをしていた。普通、4年生と積極的に交流を持とうとする1年生はほとんどいない。高校を出たての1年生と就職を目前にした4年生とでは状況も学年も違いすぎるからだ。
2人とも慶應だった。
この大学には変わり者がよく集まるのか、それとも、たまたま寮がそうだったのか、記憶に残る寮生が多い。
僕は武内に、
「おまえの方が先に就職やな」
と言った。
順当に行けば、院生になる僕より学部生である武内の方が早く社会に出ることになる。
「あー、そう言えばそうですね」
わかっているはずなのに、武内は今はじめて気づいたかのように白々しい顔をして答えた。
「どんな業界に行くか決めとるとや?」
「ええまあ。確定したらご報告しますよ」
ニヤリとしながら話を濁した。抜け目のないやつだからもう決めているのだろう。
「伊東、おまえは将来どうするとや」
こいつに就職の話は早いかもしれないが流れで聞いた。
「自分は国家公務員になろうと思います」
すでに勉強を始めていると言った。それ以外の選択肢はないという顔をしている。なりそうだなこいつ、と思った(それから3年後、実際にそうなる)。
「おまえらしっかりしとるにゃあ」
社会に出るのを2年間先延ばしにすることだけ決めた僕としてはそう言うしかない。
話題は将来のことが中心だった。寮生で誰が一番出世しそうか、とか、今の寮の体質はいつまで続くだろうか、と予想し合った。
英彦寮は武内の代を最後に、現在の敷地を売り払って神奈川に移転することが決まっている。建物の老朽化とか県の財政事情が移転理由らしい。鉄筋とはいえ築40年のオンボロ寮なので、さすがに建てかえ時期だろうし、目黒区内のこの土地なら相当な売却収入が見込めるはずだ。
いろんな意味で頃合いなのかもしれない。
今度は全室冷暖房完備で、一人部屋になる予定だと聞いている。そのタイミングで寮の運営にかなりの変化があるのは間違いない。寮生同士の関わりが薄く、アパート暮らしと変わらない寮になってしまうことだってあり得る。もしそうなったらちょっと寂しい。
「自分らの在学中、移転先にもぜひ遊びに来てください」
伊東が言った。
僕は、ああ、と生返事した。
この場所にあり続けるのならまだしも、何の思い入れもない移転先に先輩面して遊びに行くのは多少気が引ける。それに寮監も年だし、その頃には別の誰かに変わっているはずだ。
「今の寮監が引退したら、次の寮監になればいいんじゃないですか?」
そうすれば就職の問題は解決ですよ、と武内がからかってきた。僕は、
「それより金稼いでこの土地を買い戻してやるかな。今度の寮はプール付き、本格的なトレーニングルーム付きやな」
と言い返した。
それを聞いた伊東が、
「そしたらまた2人部屋に戻すんですか?」
と真面目な顔をして聞いてきた。人の冗談にもマジ顔で反応するのがこいつの面白いところだった。
「今度は3人部屋で部屋長、部屋っ子、部屋孫制度にするかなー」
僕は不真面目に答えた。
すぐに武内が、
「うえー、そんな寮、絶対入りたくない」
と言った。
「あと、寮監を塾長に政治塾を開校やな」
僕は、英彦寮から念願の総理大臣が出るかもしらんぜ、とつけ加えた。
すると武内が、
「それって、政治塾っていうより魁!!男塾をイメージして言ってるでしょ」
カカカッと笑った。
伊東も、
「そしたら他の県人寮と格闘対決とかやるんですか?」
と武内の話に乗っかってきた。
妄想話は尽きなかった。
その後、他の連中が何人かやってきて、マンパチオヤジからもらった餞別はあっという間に消えていった。
翌日の昼過ぎに寮を後にした。
入寮日、白竹とともにやってきた道のりを、今度は学芸大学駅の方に向かって当時の記憶を拾いながら歩いた。
—目を輝かせて大学デビューをもくろんでいたあいつも今日から社会人か—
白竹は地元の家電量販店に就職した。今頃社会人デビューしているはずだ。
左手に見えるNTTの電波塔のそばを過ぎ、学大通り商店街までやってきた。
はじめてこの通りを歩いたとき、喫茶店で優雅なひと時を過ごす大学生っぽい姿をイメージしたなー、と懐かしくなった。
—あれ?待てよ……—
想像しただけで、4年間、結局一度もこの通りの喫茶店に入っていない。
僕は学芸茶房という喫茶店に駆け込んだ。